つぶあんとこしあん

アメリカ人はあんこが大嫌い(というより全然食えない)だが、私は大好きである。嬉しいことにこちらでも、例の韓国雑貨店であんこの缶詰が手に入るので買ってきてそのまま、あるいは牛乳をかけたりして食べている。少し塩分が足りないので塩を入れると、完全に日本のあんこと同じになって大変美味しい。ツブもかなり形が残っていて理想的なツブあんである。

私はツブあんは大、大、大好きなのだが、こしあんとなると嫌いと言うほどではないが、目の前にあってもわざわざ食べる気はしない程度のものになってしまう。それほど評価に差があるのだ。だからときどき、ツブあんかこしあんかわからないお菓子があったりすると困る。ためしに他人に食べさせてみたりしている。こんな大事な情報をパッケージに書かないとは、なんと無神経な業者なことか。「ツブあんもこしあんも味は同じだろう」という人もいるが、私にとっては何かが違う。うまくいえないが、ツブの中の豆の味の香ばしさがいいのか、ツブの感触がいいのか、はたまた皮を歯で噛むところがいいのか自分でもよくわからないが、とにかく全然違うものに感じるのだ。

当然世の中には逆の「断然こしあん派」がいるわけだが、数人でそれぞれの魅力について議論をすると大変面白い。「ツブあん派」も「こしあん派」も、それが単なる好みの問題ではなくて、どちらも自分の方が「正当」であり「他の人もそう思っている」と主張するのだ。「だっておはぎはツブあんが普通だろ」「そんなおはぎは聞いたことがない。おはぎこそこしあんじゃないか」といった調子で、もうハナっから話が合わない。

何年か前、職場の忘年会で温泉に行ったときのことだ。ホテルの同室の6人でこれを話したとき、ある「こしあん派」の人が私に「ツブあんのほうが好きだなんておかしい。そんなやついるか」と言った。私の主張は明白である。「世の中の人は若干ツブあん派が多いが、ほとんど同数である。その証拠はコンビニのあんぱんだ。コンビニの品揃えはそのまま人々のニーズを表している。こしあんが圧倒的に人気があるならツブあんなどとっくに店から消えている」 すると、これに別のこしあん派が反論する。「コストの問題があるんですよ」 彼によれば、本当はこしあんを好きな人の方がずっと多いのだが、こしあんは「こす」分だけコストがかかるため、あまり売りたくなく、結果的に半々に売っているというのだ。こういう調子でとにかく「こしあん派が正当である」と譲らない。アイスクリームに入っているあんが100%ツブあんである事実についてさえも、「コストの問題だ」と言い切る。

翌朝、ホテルのみやげ物売り場で名産の饅頭を売っていたので、さっそくみんなであんの種類を確かめると、はやり半数がツブあん、半数がこしあんであった。私はツブあんを一つ買ってから、売っていたおじさんに「こしあんとツブあんのどちらが買う人が多いですか」と聞いた。すると彼は「まあ、だいたい半々だね」と言ってから声を落として「本当はツブあんがいいのさ。こしあんがいいなんていう人はちょっとね」と言ったのだった。