『ピンポンさん』

戦後間もない東京。
吉祥寺にできたばかりの武蔵野卓球場をひとりの無口で色白のやせっぽちの高校生が訪ねた。
「この卓球場には、誰か強い人がくるんですか」
少年は、母親の古本を内緒で売った金で練習相手を探して卓球場を回る変わり者だった。
卓球場の主人上原久枝は、いつしか少年の食事から洗濯の世話までするようになる。
「おばさん、孔雀ってどこに卵を産むか知ってる?」
「知らないわよ」
「木の上だよ。おばさん、僕はいつも井の頭公園の木の上にいたんです。井の頭公園にある木はぜんぶ登ったんだよ」
2歳で父を亡くし、働く母が帰宅するまでの時間、公園の片隅で孤独をかみしめていた少年。
少年がもっとも嫌いなのは時間を無駄にすることだった。少年の日記。
《天才はごろごろしているぞ。天才中の天才になるんだぞ。》
《俺が死ぬとき何と思うだろう。それを思う時、一刻も無駄な真似はできない。誰にも影響されるな。》
自分の実力を確認して卓球をやめるつもりで参加した全日本選手権。東京予選で負け、はじめて人前で声を出して泣いた。
《9月7日 笑いを忘れた日》
もう卓球をやめられない。少年の卓球にかける情熱はいよいよ狂気を帯び、おばさん以外の者は怖くて声もかけられない。
翌年、全日本選手権で優勝。世界選手権ではコーチ陣の反対を無視した独創的な『51%理論』を実行し優勝。
たゆまぬ自己研鑽で、32歳で引退するまで世界選手権で12個の金メダル。
引退後は現役選手や中国、スウェーデンに指導を請われ幾多の世界チャンピオンを育成。
天才はいるのだろうか。いる。それは君だ。それは、ぼくだ。天才はいないのだろうか。いない。
みんなが天才であっていけないのなら天才はいない。
やれないが“知っている”のは評論家だ。きみよ、評論家になるな、プレーヤーになれ。
プレーヤーとしての若さを失った後、プレーヤーの苦しみを知っている評論家になれ。
並外れた頭脳と行動力で役員としても頭角を現し、54才で「あと一年やったら会長を譲る」という前会長の申し出を断り、選挙にて国際卓球連盟会長に就任。欧米発祥のスポーツで史上初のアジア人会長となる。
2年間で80ヶ国を卓球の普及に奔走。
朝鮮半島に30回数回も足を運び、91年世界卓球選手権女子団体で統一コリアチームを実現。コリアは中国の9連覇を阻んで優勝。
サマランチIOC会長とホットラインを持ち、98年の長野冬季五輪招致に尽力。
彼が久枝に贈った詩
天界からこの蒼い惑星の
いちばんあたたかく緑なる点を探すと
武蔵野卓球場がみつかるかもしれない
94年永眠。NHKがトップニュースで訃報を伝え、全国紙は一面でその死を悼んだ。
「日本スポーツ界は天才的才能の偉大なリーダーを失った」毎日新聞

彼の名は 荻村伊智朗

異端の自己研鑽のDNA 荻村伊智朗伝 『ピンポンさん』 城島充著 講談社より発売中。

本作のもととなった『武蔵野のローレライ』で第7回文藝春秋Numberスポーツノンフィクション新人賞を受賞した城島充が、構想7年、執筆に3年をかけた渾身のノンフィクション。化け物のような強烈な自我をもった孤独な天才と、それを支えた卓球場主人の厳しく、深く、温かい物語。
生きているうちにこんな本に出合えてよかった。本当に凄い本だ。