弁当の話

昨夜、職場の上司であるジョンの家に招かれて、家族で夕飯をいただいてきた。大変おいしいステーキを出されてとても幸福なひと時を過ごした。

そこでジョンが日本に出張したときの話をきいた。パン屋に行って自分でパンをトレイに入れて買うのがとても楽しかったとのこと。匂いも良いしどれもこれも美味しそうで、喜んでホテルに帰ってかぶりついたら、中にアンコが入っていて吐き出したそうだ。「やっぱりアンコは食べられないんだな」と思ったら、ちょっと事情が違うようだ。彼が言うには、チョコレートだと思って食べたのがアンコだったからまずかったのであり、最初からアンコだと知っていれば食べられるという。奥さんも問題ないそうだ。もしかすると、アメリカ人がアンコがダメだというのは、こういう「不意打ち」に限った話なのであり、イチゴジャムの瓶に入っていた筋子をイチゴジャムだと思ってパンに塗って食ったのと同じ種類の不快さというだけのことなのかもしれない。

ジョンの奥さんが新聞を持ってきて「ここに書いてあることは本当なのか」と聞いてきた。そこには、日本の母親は弁当でさまざまなデコレーションをして人の顔を描いたりすると書いてあった。私は「ある程度はそういう傾向はあるが、こんな写真は普通ではない」と答えた。そして、タイミングのよいことに、ちょうど昨日、私の弁当を写真に収めていたので、それを見せてやった。

私は毎日妻に弁当を作ってもらっており、それを食べながら昼休みにこのブログを書いているのだが、昨日の弁当はなんと、パンケーキが数枚だけであった。何もはさんでいないし他におかずもない。写真の通りなのだ。アメリカ人の弁当が非常に簡素なのをいいことに、妻はアメリカに来てから弁当をここぞとばかりに簡素にしだした。その簡素さぶりに、これまでも度々驚かされたことはあったが、さすがに昨日のは新記録である。これ以上の簡素化はちょっと思いつかないのだが、これより上が今後あるのだろうか。楽しみなような怖いような。