元の職場の後輩に、Tという大変見どころのある奴がいる。Tはほとんどの人が私のオカルト談義に興味を持たない中にあって、完全に食いついてくる得がたい人材である。ただし、その食いつき方は、何でもかんでも私に反対する立場ではあるのだが、興味が無いよりはマシである。職場の飲み会ともなれば、私は常にTのところに行って「それではこれはどう思う?」などとオカルト議論を吹っかけてはTをエキサイトさせて楽しんだものだ。仕事の話などする余地がない。
Tは「宇宙人が地球に来ているなんていう奴は頭がおかしいです」という一方で、幽霊や超能力は絶対にあると断言する。私にはどっちもどっちのあやしい話なのだが、彼の中の何かがそれを判断しているようだ。
それで、幽霊の話になった。私の立場は「幽霊が存在する証拠が出てきたらいつでも認めるが、今のところそのような証拠は無いので認められない」という単純明快なものだ。これがTには面白くないらしく、いろいろと難癖をつけてくる。Tによれば、幽霊とは電磁波の一種で、物理的実在だそうだ。大学で物理を学んだものの発言とは思えない。電磁波なら測定すればわかるではないか。そんな簡単なことならどうして今まで誰もその存在を証明できないのだろうか。
「条太さんはもし殺人現場で寝ろと言われたら寝れるのか、幽霊を信じないなら寝れるはずだ」と息巻く。私はそんなもの、必要があれば寝れると思うが、それではつまらならないので、あえて「気持ち悪くて寝られない」と答えた。するとTは得意になって「矛盾してるじゃないですか」と突っ込んでくる。私の理性と感情が矛盾していても、それが幽霊の実在の議論に関係がないことがTには分からない。
これに第三者が加わると収拾のつかない議論になる。Tが「世界中の民族で幽霊を見た話があるのは実在する証拠だ」という。私が「それは人間が本能的に死を恐れているからで、実在の証拠にならない」と答えるとTは「オレは死ぬのは怖くないですよ」と言う。こいつが死ぬのが怖くなくてもこの議論に何の関係があろう。それを聞いていたSというやつが「それなら今すぐ死んでみろ」とムチャクチャを言う。死ぬのが怖くなくても今すぐ死にたくない理由はいくらでもあることが、この男にはわからないのだ。Tだけでも議論の筋道がわからなくて大変なのに、更にこういうやつが議論に加わると話が全然進まなくて、一体なにを議論しているのかさっぱりわからなくなるのだ。それはそれで盛り上がって面白い。3人で喉をからしながら激論をすることになる。
ある飲み会の翌週の月曜、Tはよほど私との議論が悔しいらしく、昼食のときに蒸し返してきた。「条太さん、幽霊が実在しないってことは、祟りとか呪いもないってことになりますね。それでいいんですか」と言う。そそれは・・霊魂よりもっと信憑性がないではないか。更にTは「これはどう説明しますか」と前置きして「気功師が自分の体重を軽くすることができる」と言う。テレビで気功師が生卵に上がって潰さない超能力を見たのだという。どんどん話のレベルが落ちていくのは一体どうしたことだろうか。こちらの方がよっぽど不思議である。