月別アーカイブ: 12月 2007

テキサスで御難

今日から金曜まで、上司のデビッドと一緒にテキサス州のラレードという町にある関連会社に出張に来ている。ラレードとは、アメリカとメキシコの国境の町だ。実は関連会社はメキシコ側にあるのだが、日本人赴任者はアメリカ側に住んでおり、毎日国境を越えて会社に通勤している。メキシコ側は危険なので、日本人は会社から外に出ることは禁じられているという、なんとも奇妙なところである。

ドーサンから飛行機を2本乗り、サンアントニオ空港からレンタカーで2時間走って、さきほどこのラレードについたところだ。年寄りのデビッドを疲れさせまいと私が運転したのだが、なんとスピード違反でつかまってしまった。罰金は145ドルだ。さすがに会社の出張費用に請求もできずなんとも情けない話だ。

警察が行った後でデビッドは、自分は違反をしてもつかまらないスキルがあるという。ぜひ教えて欲しいというと、なぜ自分が違反してしまったかを紳士的に説明すれば良いのだという。「フットボールの試合を見に来て道に迷い、つい標識を見落とした」「カーナビの情報が古くてまどわされた」など、とにかく相手につけいる隙を与えないように、話し続けることがポイントだという。そうすると警察は「わかったからもう行け」と言うのだという。・・なるほど、確かに仕事でもデビッドと話しているとそう言いたくなることが多いが、わざとだったとは恐れ入った。

あるときなど、「この車は80年製で古くて79馬力しかない。それに家族4人と家具が積んであり、総重量は○○ポンドだ。坂道を登るためにはフルアクセルで登るしかない。それで頂点を過ぎて下りになったところでついスピードオーバーしてしまった。君ならこの車で上手く運転できるかやってみるかね」といってキーを差し出したら「わかった、もう行け」と言われたという。本当にそんなこと言ったのかこのオヤジ。

「条太の奥さんもスピード違反でつかまったことがあるか」と聞くから「ある」と答えた。「そういうとき、家ではシット(チクショー)とか汚い言葉で腹を立てるだろう」と聞くので「その通りだ」と答えた。
デビッドの奥さんは、自分が捕まることも悔しいが、デビッドだけがいつも見逃されることがもっと悔しくて腹に据えかねているという。「今からその証拠を聞かせてやる」といって、デビッドは携帯電話をスピーカーホンにして奥さんに電話をかけた。「今、ラレードに向かってる」などと前ふりをした後で「警察に止められたが上手く言い訳をしたらまた見逃してくれたよ」と言うと、奥さんは一瞬沈黙して、別人のような低い声で「shit!」とつぶやいた。デビッドは携帯を指差しながら「聞いたか?聞いたか?」とジェスチャーをして喜んだ。悪いオヤジだ。

神様の話

先日宣教師のデイブに聞いた「教会に通っているアメリカ人のうち、本当にイエスを神様だと信じているのは30%ぐらいだ」という話を職場の同僚に確かめてみた。

デビッドいわく「30%かどうかは知らないがだいたいそんなもんだろう」とのこと。神様の存在自体は信じているにしても、処女マリアから生れたイエスが神様の子だとか、聖書に書いてあることをそのまま信じている人は半分はいないだろうとのことだ。

進化論については事実だと思うとのこと。しかし、進化の過程のどこか、つまり一番最初とか、進化のメカニズムなどで神様が関与したのではないかとのことだった。これは証拠などないのだから、つまりそう思いたいということだろう。

信仰心と科学的良心の折り合いをつけることはなかなか難しいようである。

この話をしている間、普段くだらないジョークを絶やさないグレッグが、いやに深刻な顔つきになって聞いていたのが気になる。なんだか怖い。

グレッグのジャンケン

アメリカでもジャンケンはあるようである。Rock, paper, scissors(石と紙とハサミ)と少々長ったらしいが、知っているようだ。

あるとき、仕事の役割をめぐってグレッグとマイクがジャンケンを始めた。そこでジョーク好きのグレッグが、写真のように、5本の指を揃えた奇妙な拳を出して「俺の勝ちだ」という。何だと思ったら、「これは爆弾を積んだロケットなので、石も紙もハサミも全部吹き飛ばす」という。

なんとも対応に困る低劣なギャグだが、可笑しかった。爆弾というだけでは可笑しくもなんともないのだが、それを似ても似つかない惨めな指の形にしたところが大変可笑しかった。あまりのバカバカしさに笑ってしまった。

ガレージセール

休日に市内を車で走っていると、「ガレージセール」とか「ヤードセール」という手製の立て札を見かけない日はない。一般の人が、自分の家のガレージ(車庫)で処分したいものを売るのだ。日本のフリーマーケットを自宅でやるようなものである。立て札の矢印の方にいくと要所に立て札が立っていて、民家に行き着くというわけだ。
良い物はたいてい、すぐに売れてしまうので、前日から立て札に目をつけておいて朝一番に行かないといけないのだが、開催日などのガイドラインがあるわけではなく、まったく各自が勝手にやるので、なかなかそういうわけにもいかない。

先日、ダメもとで昼食後に見つけたヤードセールに初めて行って見た。案の定、ほしいものは何もなかったが、子供たちが欲しがったガラクタを3つで1ドルくらいで買ってきた。

車に吊るすと意外にも、店の駐車場などで自分の車を見分けるのに役に立つことがわかった。今度こそは前もって見つけて朝一番に行って良いものを買いたいと思う。

キング牧師

6月にアトランタに行ったとき、キング牧師の記念館に行ってきた。キング牧師とは、黒人の公民権運動に尽力して、最後は反対派に暗殺された人だ。

当然のように、記念館には黒人が多かった。7割ぐらいは黒人だったと思う。そこでポスターなど買ってきて家に飾っている。I have a dream..で始まる有名な演説のポスターだ。

妻が子供たちの学校の先生と話したとき、キング牧師の話をすると、露骨に嫌な顔をされたという。その先生は白人の女性であり、キング牧師のことを嫌いなのだという。その理由は、キング牧師のおかげで黒人が自分達の権利を過剰に主張するようになり、かえって黒人と白人の溝が深まったので、彼は悪い人だと小さい頃から教えられてきたからだという。

学校の先生という知的職業であるにもかかわらず、このようなことを言うことに驚いた。内心、差別心があったとしても建前でそれを隠しそうなものだが、なんと率直なのだろうか。そう表明してもよいだけの土壌がこの辺りには定着しているということなのだろう。

サービスルールの提案

かねてから考えていた、新しいサービスのルールについて国際卓球連盟のシャララ会長にメールを出した。

今のルールは、インパクトを相手に見せるように、トス後のフリーハンドの位置などを規定するものだが、選手達は一様に不自然な格好でサービスを出している上に、それでも直前までインパクトが肩などで隠れぎみであり、依然としてインパクトが相手にはっきりと見えているとは言いがたい。

私は、これはプレーヤーがわざと隠そうとしているのではなくて、彼らのクローズドスタンスが原因だと考えている。なぜなら、クローズドスタンスは、80年代前半にまさにボディハイドサービスの目的で定着したものだからだ。それ以前は選手はみんなオープンスタンスで十分な回転量のサービスを出していたのである(もちろん中国を含めた一流選手たちの話だ)。

そこで私の提案する新ルールは、現在のルールに加えて、明白なオープンスタンスの提案である。具体的には、トスをしてから打球するまでの間、右足が左足より右側にあり、左右の足裏の位置が左右方向で重なってはならないというものだ(足裏が空中にあろうがどこにあろうがだ)。これは、ほとんど構えたときに決まるので、静止した状態で容易に審判が判断できるうえ、不自然な格好でフリーハンドをよける必要がないし、インパクトが良く見える。

今の選手はクローズドスタンスに慣れているので、急にオープンスタンスにすると難しく感じて、あたかもクローズドスタンスは自然なスタンスだと思うだろうが、それは違う。単なる慣れなのだ。実際、私は80年代後半にボディハイドサービスをマスターするためにオープンスタンスからクローズドスタンスに変えたが、「なんとやりにくいんだろう」と思ったものである(ほどなく慣れた)。

オープンスタンスをルールにしてしまえば、意識しなくてもインパクトは隠れないようになるのだ。

我が家のイルミネーション

我が家ではイルミネーションなどやらないだろうと思っていたら、なんと昨夜帰宅すると、庭が光り輝いていていて驚いた。

妻が知人からもらったのだという。一見綺麗だが、よく見ると何の意味もなく庭木にデタラメにかけているだけだ。子供たちが私に「どうして家のはこんなに雑なの?」なんて聞いてくるが、そういう質問には私は答えないことになっている。

クリスマス

クリスマスが近づいているため、あちこちの家でクリスマスにちなんだ装飾が始まっている。あまりに綺麗なので、夜、家族で回って見物をしてきた。中にはかなりダイレクトにイエス様の誕生日を祝っているものもあり、なかなか味わい深い。まったく、普通の民家の庭先とは思えない見事さだ。

私のビートルズ体験

ビートルズを知ったのは中二のとき、1977年だった。新聞のテレビ欄で「今世紀最初で最後の日本公演再放送」という宣伝を見たのだ。1966年の日本公演をなぜだか今世紀中にはたったの一度しか再放送できない、それが今夜だというのだ。当時の私にとって「今世紀」という言葉は「永遠」と同じ長さだった。私は音楽といえばテレビドラマ『赤いシリーズ』のピアノ曲から影響を受けてラジオのクラシックを録音して聞たりしていたがロックは興味がなかった。
新聞の宣伝につられて、とにかく凄いんだろうということで、テレビの前にモノラルラジカセをおいて録音をした。そのときは特に良いとも思えなかったが、後々聞いているうちに段々とよくなってきた。

それで、隣町に一軒だけあったレコード屋にレコードを買いに行ったが、ビートルズのレコードがなかなか見つからない。店員が「何を探しているのか」と聞くので「ビートルズです」と答えると、店員はクラシックのピアニストがビートルズの曲を演奏したレコードをいくつか紹介した。そこはクラシックのコーナーだったので、店員は当然私がそういうものを探していると思ったのだろう。
あきれたことに私はそのうちのひとつを買ってしまい、家に帰って解説を読んで初めてそれがビートルズのレコードではないことに気がついたのである。なんという不注意。私は自分の情けなさの腹いせに、その間違って買ってしまったピアニスト「フランソワ・グロリュー」へ腹を立てたものだった。

中学生の卓球の指導をしたときに、「自分で考えてみな」とか「これくらいのことは気づかないといけない」などと言ったりしたが、私自身の中学生時代を思うと、本当に何か夢を見ているようなわけの分からない状態だったと思う。どこをどう間違えればピアニストのレコードを買ってしまうんだろう。情けない。

何日か後に「今度こそ本物のビートルズを買う」とレベルの低い決意をしてレコード屋に行った。ビートルズが置いてあるコーナーを店員に聞いて、やっとビートルズのレコードを見つけたが、アルバムどころか実は曲名さえ知らない。やみくもにレコードを見ていると「ペイパーバック・ライター」という聞き覚えのある単語が目に入った。これだ!あれはPaperback Writerと歌っているのだ!と狂喜した。それでこのシングル盤を買ったのだが、その解説を書いていたのが、誰あろう日本のロック評論史を変えたカリスマ、渋谷陽一だったのだ。その短い解説の中には名盤『ラバー・ソウル』のことが意味深に紹介されていた。
それで『ラバー・ソウル』を買ってみると、そこでも渋谷陽一が解説をぶちかましていた。そこにはメンバーの個性、舞台裏とともに、『リボルバー』だの『サージェントペパー』だのという目くるめく名作の単語が踊り、ビートルズというものが単なる音楽にとどまらず、のめり込むにふさわしい深遠な世界がこの先に広がっていることが暗示されていたのだった。私がビートルズにのめり込むことはもう決まったようなものだった。

それから30年が経ち、永遠に感じられた20世紀も終わったが、信じがたいことにまだビートルズに飽きていない。それどころか当時は見れなかったビデオが当たり前になり、CDが出てDVDが出てインターネットができて、未発表曲やら未公開映像やら研究本やらが次々と出てきて、ますますその楽しみは増すばかりだ。楽しい人生である。

アーバン・オレンジ

クリーンスーツに着替えていると、現場のオジサンが私のオレンジの靴下を見て「お前はアーバンのファンか?」と聞いてきた。単に安物の派手な色の靴下を妻が買ってきただけなのだが。彼によるとオレンジは『アーバン・オレンジ』といって、アーバン大学のフットボールチーム色なのだという。そういうと彼はロッカーからオレンジの帽子を出して見せてくれた。アーバン大学の色はオレンジとブルーの2色で、アラバマ大学のチームカラーは深紅(Crimson)と白だという。どうでもいいんだが。

もしオレンジのジャンパーなど着てきた日には、いったいどういうことになるのだろう。ファンは喜び、アンチは敵意をむき出しにするんだろうな。オレンジとクリムゾンの2色のジャンパーなどあったら買ってみたいものだ。

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