年別アーカイブ: 2007

町の様子

ブログの読者から「どんな町に住んでいるのか、町並みをアップして欲しい」とメールがあった。たしかにそうだ。ひとくちにアメリカといっても、ニューヨークのようなところもあればアラスカのようなところもあるわけだ。

そこで今日はバカ話はやめにして、住んでいる町並みをアップしようと思う。私の住んでいるドーサンという町は、かつてはその中心地が栄えていたのだが、だんだんと皆が車を持つようになると中心から離れたところに住むようになり、中心に残ったのは貧しい人たちだけになったという。

そういうわけで、現在町の中心にはかつての繁栄の跡として空家になった建物や公共施設があるばかりだ。このさびれた感じが私にはなんとも言えなくいいのだ。わびさびを感じるのである。下の左の写真がその町の中心部だ。

右の写真はこの町の典型的な道路の様子。中央分離帯が日本に比べると異常に広く、なおかつ人が歩くような歩道はない。基本的に人は道路を歩かないのである。すべて車である。もちろん横断歩道などもない。

私の会社は事務所ではなくて工場なので、右下の写真のような道路際にどかんと建てられている。

郵便受けの謎

庭の芝生を刈っていると、ふと郵便受けに、なにやら赤い可動部分があることに気がついた。90度回転するようになっている。よく見ると隣の家もその隣の家も同じようなものがついているではないか。

これはなにかあるに違いないと思い、さっそくインターネットで「郵便受け」で検索してみた。それで謎は解けた。なんとアメリカでは、自宅の郵便受けから郵便物を出すことができ、赤い旗を立てておくのはその標しなのである。

これはよい発見をしたと思って、その夜の日本人の宴会でその話をしたところ、全員が「えーっ!」と驚きの声を上げた。私の発見にではない。私が6ヶ月間もそれを知らないでいたことにである。

ちょっとショックだったが、新しい発見をした小さな喜びを味わったのでかえって良かったのだと思うことにした。

「ハゲだけじゃない」説

昨年の春、10年ぶりぐらいで大学時代の研究室の集まりがあった。私はめまぐるしくハゲていたので、みんなから「変わったな」と言われた。宴会は進み、ひとりづづのスピーチとなった。それでは「平成元年卒業の伊藤条太君」と司会者が言って私がスピーチを始めると、遅れてきて私の隣に座っていた元秘書の山田さんがテーブルに伏して笑い始めた。スピーチが終わってから席につくなり事情がわかった。こやつ、私が誰なのかがどうしてもわからず、私と話している間、「目の前で親しげに自分との思い出話をする男がいったい誰なのか」を思い出そうと冷や汗をかきながら必死になっていたというのだ。それも30分間もである。バカにした話だ。だいたい彼女の勤務年数はわずか4年ぐらいで、その間に世話をした学生など10人ぐらいしかいなかったのだから「誰なのか」もクソもあるまいに。しかも「条太くんは来ないのかな」とも思っていたというのだから呆れるではないか。

彼女のボケぐあいは特別だが、実は私はこれと似た経験はあちこちでしているのだ。これに対して妻は言う。「これは絶対ハゲだけじゃないよ。骨格変わったって。別人だもの。」

そうだろうか。そこで91年当時と現在の写真を並べてみた。91年当時の髪型をそのまま現在の写真に貼ったらそんなに変わってないはずだ。と、どうなるか試してみた。カツラのシミュレーションにもなって丁度いいだろう。

結果が下である。骨格どうのこうの以前に、とにかく気味の悪いカツラ男が登場してしまい、検証不能になってしまった。これも人生であることよなあ。
8歳の息子が描いたプロフィールの似顔絵が結構似ていることもわかった。

ハゲの損害賠償

母方の祖父はツルッパゲだったし、母の弟はかなり若いときからハゲていた。彼によると、ハゲる前の30代の一時期、とにかく猛烈に頭がかゆくなったのだという。私が「掻いたからハゲたの?」と聞くと「いや、あれはハゲようとしてかゆかったんだ(方言:いや、あいづぁハゲんぺってかいがったのだ)」と語気を強くした。まだハゲていなかった私はその表現が面白いなあと他人事のように聞いた記憶がある。

私は見事にその血を受け継ぎ、30代半ばから急速にハゲだした。実家に帰るたびにどんどんハゲていく私を見て父は「うちにはハゲている人はいないから、お前はお母さん方の血でハゲたんだな。お母さんの実家にハゲの損害賠償してもらえ」とバカにした。

父も結構面白いことを言うもんだと思った。

どうしてこうもバカでかい?

昨夜は近くのアップルビーズというファミリーレストランで飲み会だった。私は甘い酒が好きなのでさっそくわけのわからないカクテルを注文した。メニューを見るとワイングラスぐらいの大きさに見えたのだが、実際はバカでかかった。どうしてこうもデカいのか。

なるほど、メニューの写真で、浮かんでいる金柑みたいなのがじつは普通の大きさのライムだったわけだ。

そういえば初めてアメリカに来て頼んだカクテルは、グラスのふちに塩がついているように見えたが、なめてみると砂糖だったのには驚いた。いちいち過剰である。

痒くないのかデビッド!

昨日の午後、急にデビッドの髪が短くなった。何事かと思って聞くと、仕事の合間に床屋に行ってきたという。たったの15分ぐらいの間である。まるでトイレに行くようなつもりで床屋に行ってきたのである。

こちらに来てから床屋に行ったことがあるが、ひどい目にあった。一応からだにケープをかぶせるのだが、密着性が悪く、ろくに掃除もしないので、首から肩にかけて髪の毛だらけになるのだ。矢も立てもたまらず、家に帰って大急ぎで頭を洗い、シャツについた毛を取るのに苦労したものである。

デビッドの首を見たら、やはり髪の毛だらけだった。「痒くないのか?」と聞くと、「パウダーをつけてくれるので痒くない」と平気な顔である。信じられない。効くかよそんなもの。「アメリカ人の実態を記録したいので写真を撮らせてくれ」と言うと、パソコンの前でうなじを露出したまま動きを止めてじっとしていてくれたデビッドはいい人である。ちなみに写真の下のほうにある毛は、下からせり上がってきている背毛がはみ出して見えているのであって、切った髪の毛ではない。念のため。

デビッドは首筋に髪の毛を大量につけたまま、9時まで仕事をして帰っていった。

蜂退治

家の周りに蜂がいる。家のある部分になぜかいつも蜂が数匹いて、こわくて芝生刈りもままならない。巣があるようでもないのだがいるのだ。

そこでふっと思いついた。蜂蜜業者のような完全防備にして退治しよう。さっそくインターネットで参考写真を見る。さすが、プロ用はまるで宇宙服のような厚手の服でヘルメットまでしている。

できるだけそれを真似るように、ゴム長靴+ジーパン+ジャンパー+帽子+ゴム手袋に、店の生地コーナーから網状の布を買ってきて頭からかぶり、胸のところで紐でしばってもらった。

これで完璧だ、と思って外に出るとそういえば40℃だった。なぜか蜂もいない。そこで、蜂がいて芝刈りができなかったあたりの芝を刈ることにした。ところが暑くて5分ともたない。妻も、「それでなくても東洋人で白い目で見られているのに(青い目だ)、そんな格好をしてこれ以上異常なことはやめてほしい」と懇願され、止めた。

かっ飛ばしてつかまった

アメリカに来てしばらくしてのこと。メールで卓球の練習をさそわれたので、車で230kmの道のりを走った。意外なことにアメリカは卓球台の消費が世界一だと以前卓球レポートで読んだことがある。その情報どおり、家に卓球台を持っている人は普通にいるのだ。家が広いこともその理由だろう。やはり卓球は娯楽の王様なのである。

ただし競技としてやっている人はまったくといっていいほどいない。人数あたりの比率は日本の1/40である。だからまともな相手を探そうと思ったら車で1時間、2時間走るのは当たり前なのである。逆に言えば、そういう状況でも競技卓球をやっている人は、みんな異常な情熱を持っているのである。それは後で書くとして、車である。

アメリカで、気持ちのよい日に新しい車に乗って卓球をしに行く、そのあまりの幸福感に私はすっかり平常心を失っていた。どんどんアクセルを踏んでいって、最後に時速180kmまで行くと、アクセルを踏んでいるのに突然減速しだした。多分自動ロックが働いたんだと思う。
それからもずっと時速140kmぐらいで走っていると、物陰からパトカーが出てきてつかまってしまった。

私はそのとき初めて「スピード違反をしたらつかまる」ということを思い出したのである。警察はいないだろうとか、つかまらないだろうではなくて、本当に思いつかなかったのである。楽しすぎると私は正常な判断力がなくなるのだなあと思った。

つかまったときの速度は時速140kmで、罰金は200ドルであった。あとで同僚に聞くと、もし時速180kmでつかまっていたら刑務所行きだったのだという。それで、「むしろ俺は運がいいんだ」と思うことにした。

警察は切符を切った後、「テイク・ケアー」といって去っていった。悔しい。

リンダとリンダ遠藤さん

妻は英会話に私以上に苦労しているようである。小学校の先生(50才ぐらいの女性)が教え子の結婚式に出ると言っているのを本人の結婚式だと思い込んで勝手に驚いてみたり、スーパーマーケットで酒を買おうとして生年月日を聞かれて住所を答えてしまったことに家に帰ってから気がついたりと、なかなか忙しい。自分で言いたいことは無理やり言えるのだが、なにしろ聞けないのだ。店員が値段を言う。店員は数字しか言わないとわかっている、その限定された状況でさえ、その数字が聞き取れないのだ。難しいものである。

その中でも傑作なのがリンダ・遠藤さん事件である。お向かいのリンダさんと話していると、妻の状況を見かねたリンダさんが、知り合いにリンダ・遠藤さんという日本人がいるから紹介してやると言ったそうである。それなら英語も日本語も話せるので、さぞ効率のよい英語習得ができるだろうと妻は楽しみにしていたのである。ところがその後、その話をするとどうにも話が食い違い、何かがおかしい。そして最終的に判明したのは、リンダさんが知っている人とはリンダ・遠藤さんではなくて、リンダ・アンダーソンというアメリカ人であり、彼女が日本人を知っているという話だったのである。その日本人は我々がすでに知っている私と同じ会社の人であった。

考えてみれば、一般のアメリカ人が「遠藤さん」などと「さん」をつけるわけがなかったのである。それにしてもまた「リンダ」だ。山本リンダっていうのもいたが。

進化論と創造論

ドッグはとてもいい奴だ。誰にでも優しく心底のお人よしであり、なおかつ敬虔なクリスチャンである。先日、アキラくんという日本人が、ドックに「アインシュタインの相対性理論をどう思う?」と聞いた。「アキラくんはジョークを言っているな」と私は思った。なぜそう思うかといえば、第一に、アキラくんはジョークが好きである。第二に、アキラくんのやけに真面目ぶりながらもどこか笑いをこらえたような力の入った表情、第三に、我々の仕事に相対性理論など少しの関係もなく、あきらかに場違いな話題だったからだ。

ドッグはこの質問に対して真面目な顔で「アイ・ライク・イット」と答えた。横で聞いていた私は大笑いをして「物理の理論に対して、正しいとか間違ってるならわかるが『好きだ』とはどういうことだよ」とツッコんだ。ドッグは笑いながら「それもそうだが、いい理論だと思うよ」と答えた。

続けてドッグは「互いに相容れない二つの理論があるんだ」とあらたまった真面目な顔で話し始めた。わたしはすぐにピンときて、ドッグの話をさえぎり、アキラくんに「ドッグは進化論と創造論の話を始める気だぞ!」と予言した。「ひとつは、人間は猿から進化して・・・」思ったとおりだ。

ドッグはひとしきり進化論と創造論を説明すると「俺は創造論が大好きなんだ」と言った。もちろんこれも予想通りだった。

Page 14 of 15« 最初へ...1112131415