私のオーディオ顛末記

男は概してメカ類が好きなものだが、私はそれほどでもなく、バイクや車に興味を持ったことはない。しかしビートルズを聞いていた関係で、オーディオだけは中学生の頃から興味を抱いてきた。

しかし高価なものを買う機会はなく、ずっとラジカセだけで音楽を聴いていたが、大学3年のときに奨学金をもらえることになったときに、ローンでオーディオセットを買うことにした。それで仙台市内のある専門店に行ったのだが、なかなか濃い経験をした。私は友人が持っているようなものが欲しくて、KENWOODのデッキだの、ダイヤトーンのスピーカーだのを買おうとして、一本7万円ぐらいのスピーカーをいろいろと聞き比べていた。

するとそれらの中に、いかにも異様な外見のスピーカーが混じっている。他のものは音が出るところに金属の網がはってあってメタリックな感じなのに、そのスピーカーだけスポンジみたいな表面でそっけない。大きさも小さく、まるで鳥の巣箱のようだ。ところが値段は他のものよりも高いのだ。不思議に思った私は店員に「これは何ですか。どうしてこんなに高いんですか」と聞いた。するとその若い店員は「聞いてみたい?」と言う。

それで鳴らしてもらって驚いた。バイオリンの曲だったのだが、音の滑らかさがまるっきり他のスピーカーと違うのだ。これと比べると、他のスピーカーの音はまるで笹笛のように割れた音にしか聞こえない。「なにコレ?」と驚くと、その店員は「ほう、耳は確かなようですねえ」と言う。客に対する応対としては失礼な発言だが、これはかなり自尊心をくすぐられる。素人ならすっかりその気になるところだ。もちろん私は素人なのですっかりその気になった。

「じゃ、他のも聞いてみる?」と言われて連れて行かれたのが二階のフロアだ。これが一階とは異なり、すべて外国製の見たこともないオーディオ機器ばかり置いてあるVIP専用フロアと言う感じで、ひとりの客もいない。化け物のような形のスピーカーも置いてある。そこで親玉の店長がうやうやしく出てきて、いろいろオーディオ論をぶった。売る前にまず私を洗脳しようというのだ。「JBLがジャズ向きだというお客さんがいますが、私はそう思わないんですよね」「何向きなんですか?」「あれは飾りですねえ」「タンノイがクラシック向きだと言う人もいますが、私はそう思わないんですよね」「何向きなんですか?」「あれも飾りですねえ」といった調子で、この人、抜群に話が面白い。

その店長のお薦めのエレクトロボイスというメーカーの『オパール』というスピーカーを試聴すると確かに怖ろしく良い。結局、カセットデッキとアンプとスピーカーだけを買いに行ったはずが、薦められるままに真空管アンプとかレコードプレーヤーとかいろいろと買ってしまったのだった。

さすがにレコードプレーヤーが24万円もしたのは後悔して、翌日返しに行った。ところが、アームやらカートリッジやら別売りの部品をすでに組み立てたので返品はできないという。そうこうしているうちに、前日の私と同じように二階におびき寄せられた学生風の男が、やはり私と同じように店長の演説を聞きはじめた。「彼にも同じプレーヤーを薦めるので、彼が買うことになったらそっちに回すからいいよ」と店員が私に耳打ちをした。30分ぐらいすると、その学生は見事に私と同じプレーヤーを買うことになり、私は無事、返品をしてもっとずっと安い中古品を買うことができた。後で会社に入ると、その店から『オパール』を買った人に何人も出会ったのには驚いた。店ぐるみの底知れない接客術である。

この『オパール』というスピーカー、確かにバイオリンとか静かで美しい曲には息を呑むほどいい音を出すのだが、私がよく聴く、ビートルズやハードロック、パンクにはまったく合わないことが買ってからわかった。しばらく失敗を認めたくなくて、そのスピーカーに合うCD(シャーデー、ジョージャクソン、スティングなど)を買うということまでしたが、これこそ本末転倒だ。

ビートルズやパンクといった音楽は、私の場合、ラジカセやカーステレオの方が良かったのだ。最近では、そもそも音質自体、重要ではないと思ってきている。妻はもっとも好きなのはジミ・ヘンドリックスで、ニョロニョロになったテープのラジカセでも全然気にならないと昔から言っていて私はバカにしていたのだが、今になって同じ考えになってしまったのが少し悔しい。

それで、アメリカに来るときにヤフーオークションでオーディオ機器をすべて売った。先の恐るべき接客術のオーディオ専門店で買ったSMEのアームだのトーレンスのなんとかやスーパーウーファーが高く売れて、レコードやギターなど合わせると全部で26万円にもなった(下の写真が売る前の最後の記念写真だ)。私には高級オーディオが必要ないことがわかるのに20年かかったわけだ。