書き文字の話

15年くらい前にイランに旅行に行ったときに知ったのだが、ペルシャ語は、横書きなのだが、右から左に書く。その中にときどき英単語が混じっているのだが、当然それだけは左から右に綴られている。つまり、書く人も読む人も、そこで一回戻るような動きを強いられるわけだ。なんとも不都合な文字もあったものだと思って我が日本語を振り返ってみると、縦書きの文章に、あろうことか90度横倒しになった英単語さえみることができるではないか。視線が戻るどころか、顔や本を横倒しにしなくてはならないわけだから、ペルシャ語よりよっぽど不便だ。

ところで英語などの横書きは左から右なのに、日本語の縦書きはどうして右から左なのだろうか。こんなことは研究者による結論はとっくに出ているんだろうが、あえてそういうことを調べず、考えてみた。

これは文字を書く道具に由来するのではないか。英語はペンで書くが、当然、右利きの人が書いた文字を手でこすらないように左から右なのが自然だ。一方、日本や中国は何で書いていたか。筆だ。そもそも手を紙につけないで書く文字なのだ。しかも何に書いたか。巻物である。右利きの人が、巻いた巻物を少しづつほどきながら書く場合、当然、その巻物を広げていく作業は左手にさせることになる。これが、日本語が右から左に書く理由だと見る。おそらく、ペルシャ語にも理由があるはずだ。左利きの人が多かったとか、裏返しにして読む言語だとか(あるかそんなの)。

世界に名だたる日本のマンガは右から左に読む。ページもそうだし、コマの読み方もそうだし、コマの中の時間の流れすら右から左だ。これらはすべて、コマの中のセリフが縦書きであり、右から左に読むことに起因している(ちなみに、マンガを知らない人が描いたマンガが読みづらいのは、読むときにはだれもが無意識に従っているこのルールに気づかず、無視することが多いからだ)。

小学校のときに購読していた科学と学習シリーズの『科学』に連載されていたマンガが左から右に読むマンガであることにしばらくしてから気づいて愕然としたものだった。うまく読めなかったからではない。逆だ。読む順序が普通と逆のマンガなのに、何の違和感もなく何号か読んでいたからだ。どうしてページすら逆に進行するうこのマンガを自然に読めたのか考えてみると、吹き出しのセリフが横書きだったからだ。それが無意識のうちに時間の流れを規定していたのだ。もっとも雑誌自体もすべて横書きで、左から右にめくっていく雑誌だったことも自然に読めた理由ではある。

当然、日本のマンガを欧米に翻訳して輸出する際には、すべての画像を左右逆に反転して印刷しているわけだ。吹き出しの中のセリフが左から右へ読む横書きだからだ。

ここでもうひとつウンチクが入り込む隙が生じる。マンガの絵というのは、いつも見慣れている角度の顔を見ていると、デッサンの狂いに気づかないものだが、反転させるとデッサンの狂いがよくわかる(漫画家が原稿を透かして見てデッサンをチェックするのはそのためだ)。だから、デッサンに自信のない漫画家は、左右反転が必須となる翻訳版を出したがらないのだ。