明暗

どうしても取れなかったタイトル、ついに獲った金メダルがオリンピックの金メダル。おめでとう馬琳。

馬琳は素晴らしい。表彰台でおきまりのメダルをかじってみせたのは「またか」という感じで決まりが悪かったが、まあ仕方ないだろう。金が通貨として流通しているときに本物の金なら柔らかいので歯型がつくことを確かめるための行為が発祥だ。選手はそんなこと知らないだろう。もっとも、Vサインもイギリスのチャーチル首相が第二次世界大戦のときに勝利を表すVictoryのVを指でしたのが発祥と言われている。まあ、そんなことはどうでもよい。

王皓、アテネに続いて銀メダル。これも悔しいだろう。

表彰台の3人を見ていると、馬琳はともかく、王皓と王励勤は本当におとなしく物静かな性格だ。暗いと言ってもいい。卓球の一流選手って暗いのか?と言われそうだが、その通りだ。バカみたいに明るい選手がこんな複雑で多様で精緻な競技をこなせるはずがない。そして暗いことは別に悪いことでもなんでもない。暗くて優れたもの、魅力的なものはいくらでもある。単に語彙のない人が何かを侮辱するときに使うだけのことだ。若い女性が魅力的なものをすべて「かわいい」というのと同じだ。語彙のない者が「暗い」と非難し、語彙のない者が「暗くない」と反論する。さらに語彙はあるが価値の多様性に気づかない者が「暗くない」と反論する。いずれもばかげている。