伝説になったジョン・レノン

他人の夢の話を聞かされるほど苦痛なことはないと言われるが、残念ながら今日はその夢の話だ。

ひとつは卓球だ。なぜか私が練習場で青森大学の大矢英俊選手と試合をしているのだ。もちろん彼と面識などない。広州で一瞬握手しただけだ。

私はナックルドライブを見舞い、見事大矢にネットミスをさせて1ゲームを先行した。2ゲームめをやろうとしてコートを換わると大矢はなぜか椅子に座って休んでいる。「どうした?」と聞きにいくと「え?まだやるんですか?」と言われていたたまれない気持ちになった。大矢に勝つということはあり得ないことだが、試合を断られて気まずい思いをするのはしょっちゅうなので、こんな夢を見たのだろう。

試合だけではなくて、一般に私は何かを断られることが多いのだが、その原因はよくわかってる。そもそも私は、断られて当然のようなずうずうしい申し出が多いからなのだ。他人からはかなり恥知らずだと思われているようだが、そういうときの気まずさはまったく慣れることがなく、その都度、胸が痛む。しかし胸が痛むこと自体に慣れたといおうか、まあ、そんなもんだ。

その前後して、ジョン・レノンの夢をみた。どっかのホテルに泊まっていて部屋に戻ろうとすると、同僚から携帯に電話があり「ジョン・レノンがフロントに来るそうなので条太さん、会いません?」と言うではないか。私は小躍りしながらフロントに行くのだが、その途中で「まてよ、ジョンはとっくに死んでるじゃないか。来るわけない。ということはオノ・ヨーコが来るのか?」と半分だけ正気になって考え直した夢だ。

偶然にもヤフーのトップページを見ると『伝説になったジョン・レノン』http://music.yahoo.co.jp/shop/p/12/91321/という記事が目についた。読んでみるとまったく呆れた内容だった。

『この死によって、レノンは崇拝されるようになったと発言する者もいる。だが、果たしてそうであろうか?』

間違いなくそうだ。ジョンが死ぬ前など、ソロのシングルはほとんど廃盤になっており、一般的には完全に過去の人で、もし死ななかったら一部のロックファン以外からは完全に忘れられていただろう。

『彼はソロ活動において、ビートルズ時代より大きなマインドで「ラブ&ピース」を唱え、音に託した。(中略)多くのリスナーは、そんな彼の姿から(家族)愛や言論の自由に対し、共感を得たのではないだろうか? そう、ソロ・デビュー作『ジョンの魂』(70年)で呈示したレノンのソウルは、今後も世代を超えて愛され続ける至宝であろう。(リッスンジャパン) 』

確かにジョン・レノンは気まぐれで愛や平和を歌ったこともあるが、別にそこが優れているわけではない。それらは単なる歌の題材にすぎないわけで、平和主義が偉いならもっと偉い人は他にいくらでもいるだろう。彼は同時に悪意と攻撃性と狂気の人でもあった。ジョン・レノンとは単に才能があって優れた音楽を作った男にすぎない。その点において偉大なのだ。彼の偉大さを説明するのにどうして音楽と関係のない「愛」だの「平和」だの「言論の自由」だのという、世間一般の正義を借りなくてはならないのか。本人が何も語れないのをいいことに、口当たりの良いフレーズで売ろうとしているのはなんとも残念だ。音楽ライターも食っていかなけらばならない以上、仕方がないのかもしれない。

雑誌にしろブログにしろ、私は好きなことを書ける立場でつくづくよかったと思う(書けないこともあるにはあるが)。