「作品を通して作者が言いたいこと」というフレーズがなぜこうも気に入らないのか考えてみたら、それには理由があったことを思い出した。
20代の頃に、手に入れた8ミリビデオカメラで映像作品を何本か作った。それをある後輩に見せたところ、ニコリともせずにずーっと見ていて、最後に「で、これ何が言いたいんですか」と言われたのだ。それでカチンときて以来、このフレーズに恨みを抱くようになったのだった。
その後輩は私の作品があまりにつまらないので、他に言うことを思いつかなかったのだ。それで言葉に窮して「何が言いたいんですか」となったのだ。私はそれが分かっているだけによけいに悔しくて根に持っているというわけだ。もちろんその後輩に罪はない。つまらない作品を30分も見せた私が悪いのだ。
伊丹十三が書いていたことだが、人は誰でも創造力よりも批判力の方が優っている。自分で作る能力よりも他人の作品を論評する能力の方が優れているのだ(山下清のような例は別として)。後輩を30分間も沈黙させてしまった私が三原監督の『燃えよピンポン』をつまらないと批判するのは、そういうわけなのだ。