ドーサンにはいくつか日本料理店があるが、日本人が経営している店は一軒もない。やっているのは韓国人か中国人だ。
とはいえ、一応は日本料理っぽいものが出るので、ときどきは食べに行くことになる。結果は写真のとおりだ(だいたい、暖簾に『日本料理』と書いてる時点で日本料理ではない)。てんぷらうどんを頼むと、エビフライが妙なところについてくるし、うな丼を頼むと、なんともいえない外見のものが出てくる。それでも味はそれなりなので、むしろ日本人じゃないのにここまで似せられたのはたいしたものだと思うべきだろう。
ときどき、食事のマナーについて考えるのだが、ある点で、日本と西洋では正反対なのだ。それは、器を持つかどうかだ。日本でごはんを茶碗を持たないで食べたりしたら行儀が悪いことになるが、西洋で皿をもって食べたら行儀が悪いことになる。ファミリーレストランに行き始めたころ、ついごはんの盛られた皿を手に持って食べたものだったし、マークは日本に出張したとき、ごはん茶碗をお盆に置いたまま食べようとしていた(倒れそうであぶない)。
そもそも食器からして違う。茶碗は手に持つように作られているし皿はテーブルに置くように作られている。さらに、日本では汁を飲むのにスプーンを使わないし、しかも熱いため、茶碗から音を出して汁をすすることになる。しかし西洋では汁は比較的ぬるいし皿の形状からしても冷めやすく、スプーンを縦に使って口に流し込むのが前提だ。シェフの味見じゃあるまいし、スプーンの中の汁を音をたててすするなどとんでもない話である。
もっともインド人は手で食べるのが普通だし、まあ、マナーはいろいろだから、せいぜいその場の人たちを不愉快にさせない程度には気をつけなけらばならないとは思っている。ただ、ひとつだけ日本のマナーで納得できないものがある。それは箸と箸とで食べ物を受け渡す、いわゆる「箸渡し」をしてはいけないとされていることだ。その理由が、火葬のときに骨を拾う行為に似ているから縁起が悪いというのだからバカバカしいではないか。似てると思うのは勝手だが、そんなことをマナーにしないでもらいたい。火葬に似たことをしたからといって死ぬわけでもない。だいたい一般人が火葬をするようになってから100年もたってないのだから、そんなものは「バレンタインデーで義理チョコをやらないと失礼だ」という程度の浅い歴史しかない、由緒も何もないデタラメなものなのだ。火葬を思い出すと言うが、そんなに思い出すくらいしょっちゅう骨拾いをやっている人がどこにいるというのか。火葬場の人ぐらいではないか。いっそのこと、料理で火を使うのも火葬や火あぶりの刑に似てるからやめたらどうだろう。
そもそも「縁起が悪い」という発想が気に入らない。北枕が縁起が悪いと聞いて以来、毎日わざと北枕で寝ていた私にとって、こういう非科学的な考えはどうしても受け入れられない。いや北枕の場合は非科学的以前に、理由すらないのだ。なにしろお釈迦様が死んだときにたまたま「頭を北にしていた」というだけなんだから話にも何もなりゃしない。背中を下にしていたことはいいのかね。
箸渡ししたほうが便利なときにはどしどしやるべきだと私は思っている。