以前、職場の同僚が、子供に名前をつけるのに姓名判断にもとづいて画数を検討していると言った。「そんなの信じてるんですか?」と言うと「別に信じちゃいないけど、悪いって言われてる名前をわざわざつけなくてもいいでしょ」と言われた。
私も小学生のころは、大人がすることは正しいことだと思っていたし、まさか本にウソが書いてあるとは少しも思っていなかったから、占いも完全に信じていた。しかし、問題だったのはそのメカニズムだ。
名前の画数が運命に影響する原因にはどんなことが考えられるだろうか。たとえば、自分の名前を書くときに、指を何回動かすか、あるいは他人が自分の名前を書くときに指を何回動かすかが、何かその人の運命に影響するなどの原理があって、偉い人がそれを突き止めたんだろうと思っていた。「名前の画数」と「運勢」の間を埋めるものはそれぐらいしか考えられないからだ。
突き止めるためには当然、膨大な統計が必要になる。不幸な目に合った人と、幸運に会った人の名前を調べ上げてなんらかの傾向をつかみ、作り上げたのが姓名判断なのに違いないと思った。画数が運命に影響を与える本当のメカニズムは分からないにしても、統計的にそのような事実があるのなら、認めるしかない。
易者が箸みたいな棒をまぜて占うのも同様だ。棒を混ぜるといっても、実際に混ぜているのは神様ではなくて占い師なので、占う相手の運勢が占い師の指先に何らかの原理で伝わって、うまい具合に箸を混ぜ合わせて、相手の運勢を表現できる結果になるのだろう、世の中にはこんなに不思議で面白いことがあるのだな、と思っていた。
現実には、私の大前提が間違っていたことが後で分かった。つまり、世の中には平気でウソやデタラメを書く大人がいくらでもいて、そのような原理も統計も何一つなく、すべてはただの戯言だったのだ。