恋愛至上主義の犠牲者

40代で未婚の女性の知人がいる。本人は結婚したがっているのだが、なかなかチャンスがなく、この歳まで来てしまったという。

美人であり性格も特に異常なわけでもない。お金も十分にある。本人が結婚する気がないならともかく、結婚したいのなら、見合いでも結婚相談所でも行けばよさそうなものだが、頑としてそのアドバイスには従わない。

見合いをしてもロクなのがいないし、結婚相談所に来るような男は嫌だというのだ。それがいかに間違った偏見であるかを言葉を尽くして説明しても理解しない。

彼女は恋愛至上主義の犠牲者である。日本で恋愛結婚が見合い結婚を上回ったのは1960年代のことだ。ほんの50年前までは誰もが当たり前のように見合い結婚をしていて、それで何も問題がなかったのだ。彼女はたまたま、恋愛が何よりも価値があるという妄想がはびこる現代に生まれたばかりに、根拠のない偏見にとらわれて結婚の機会を逃し続けているのだ。

見合いや結婚相談所に偏見をもち、自然な出会いで相手を見つけなくてはならないという考えは、たとえていえば、スーパーで売られている果物には目もくれず、野山を歩いて偶然に見つけた果物だけにこだわるのと同じ滑稽さがある。

恋愛至上主義という現代特有の妄想にとらわれてしまった彼女には、出会いの形など何の意味もなく、どこで見つけようが気に入れば同じことであることがどうしても理解できない。

おそらくこのままこの妄想に縛られていくのだろう。果たして運よく野生の果物を偶然見つける日は来るだろうか。