知識がないよりはあった方が表現をより味わえるというのは当たり前のことだと思うが、どうしてその逆の主張をする人がいるのか考えてみた。
ひとつ。そう書けば、知識の少ない人たちが喜ぶからだ。「そうか、理屈や情報など要らない、ただ素直に感じればいいんだ。大事なのは心だ。やつらは何もわかっちゃいないんだ!」というわけだ。それで本が売れたり人気が出るので、そう書く人がいるわけだ。小林秀雄のような知識だらけの教養人がそう書くのは、そのためだろう。
もうひとつ考えられるのは、アーティストの言っていることを真に受ける人がそういう考えになるということだ。言うまでもなく、アーティストは自分の作品を評論家に偉そうに論評されるのは好きではない。これは暴走族が警察を嫌うのと似たようなもので、当たり前のことだ。で、アーティストを妄信しているファンは、彼らの言っていることをすべて本気にして「理屈なんか要らない、自由に見て感じればいいんだ」などと言うことになるのではないだろうか。
物を知らないことをそう威張らなくてもよいと思うのだがどうだろうか。