年別アーカイブ: 2009

真面目なのか

学生時代、みんながやることはやらなかったので、結果的に酒は飲まないし、タバコもマージャンも賭け事もしなかったので、アルバイトで卓球をコーチしていたおばさんたちから「真面目なんだから~」と言われて、嬉しいような腹立たしいような気がしたものだ。

まあ、真面目に定義などないのだから、そういうことを真面目だと言うのなら、確かに真面目だったのだろう。そのかわりビートルズに扮装した写真を撮ったりバカ話を録音したりしていたわけだが。

ただ少なくとも、授業を真面目に受けていなかったのは確かだ。今でも思い出すのは1年のときのドイツ語の授業だ。ある物語の本を一文づつ席順に訳させられたのだが、私の文章はたった二つの単語で、文末にクエスチョンマークがついていた。席順を逆算して自分の文章がわかったとき、あわてて辞書を引いたのだが、ひとつの単語が「馬」だとわかった時点で自分の番が来てしまった。しかたがないので私はあてずっぽうに「それは馬ですか?」と答えたのだった。

なんと馬鹿げた訳だろう。いったいどんなストーリーならこんな台詞がある得るというのだろうか。いや、ストーリーだけでなく、馬を目の前にして「それは馬ですか?」と聞く機会が人間にあるだろうか。ない。英語の教科書の「私は少年です」という台詞と同じくらいにない。

友人に「バカ条太、単語二つしかないのにまちがえてやんの。しかも”それは馬ですか”だって。マヌケ」と言われ、自分でも可笑しくて仕方がなかった。正解は「馬はどこ?」だった。この物語で覚えているのはこの台詞だけだ。なにしろこの台詞がわからなかったくらいだから、他の文章を理解していようはずもない。

受け入れがたい習慣

なぜそんなにも指輪を憎んでいるのか自分でもよくわからなかったのでよくよく考えてみた。

結局のところ、何かの世界に入ることを目的に自分を変えるのがとても嫌なのだ。うまく説明できないので、「結婚をしたら指輪をするものだ」に共通する受け入れがたいモノをあげてみる。

・男はプロ野球のファンになる(みんなが野球の話をするので意地でも野球は見ない。しかし野球マンガは読む)
・大きくなったらタバコを吸う(タバコを吸って大人になったような気になることが恥ずかしい)
・大学生になったらマージャンをする(みんながやるので意地でもしない)
・これが本格的だと言って寿司を素手でつかんでネタに醤油をつけて食べる(インド人じゃあるまいしそんな不自然なことはしない。箸を使ってご飯に醤油をどっぷりとつけて食べる。言うまでもなくこれがいちばん美味い)
・運転していて道を譲ってもらったらサンキューの意味でしばし非常灯を点滅させる(非常灯はそのためにあるのではない。そのような言語を勝手に使って悦に入らないでもらいたい)
・飲み屋などで初対面の店主に「これちょうだい」などとタメ口をきく(どこでそんな非礼を身につけたのか)
・両親のことを「おやじ」「おふくろ」と言う。

脈絡がないようだが、わかってくれる人がいるだろうか。私はこういう「比較的みんながやること」が気に入らず、ことごとく拒否してきた。

説明が必要なのは、「おやじ」「おふくろ」だ。「あにき」を加えてもよい。これらの単語は、私の世代にとっては青春ドラマの象徴なのだ。彼らは他人の前でだけでなく、当人に向かってもこのように呼んでいた。「おとうさん」「おかあさん」では幼い感じがして若者ドラマにそぐわないからだ(店員にタメ口をきくのも同じ原理)。家庭内のシーンであっても実際には視聴者に見せているわけで、これはよそ行きの言葉使いなのだ。

現実に父親や母親に向かって「おやじ」「おふくろ」と呼ぶ人は多くはないだろう。いたとしても、小さい頃からではないだろうから、途中からこういう呼び方に移行した時の不自然さを想像するといたたまれない。

当人にはそう呼びかけないけど、他人の前では「おやじ」「おふくろ」と言う人は多い。「父」「母」ならかっこつけも背伸びもない無機質な言葉なのでいいのだが、若い頃は友人たちが「おふくろ」なんて言うの聞くと、なんだかテレビドラマのマネをされているような気がしたものだった。さすがに今は歳もとったので慣れた。

もっともこういう感覚は、地域や世代によってぜんぜん違うだろうから、あくまで私個人の内部の問題である。悪しからず。

指輪の話

先日、『刑事コロンボ』の「指輪の爪あと」を見ていて、そういえば私の婚約指輪はどこにいったのだろうかと思った。どこかにしまっていたはずなのだが、妻に聞くと「知らない」という。指輪などどうでもいいが、せっかく何万円か出して買ったものをなくしたのはなんとも悔しい(といっても2万円くらいのものだが)。

指輪をしなかったのは力を入れて物を持つときに当たると痛いこともあるが、東北の百姓の息子である私が結婚するからといって急に人が変わったように、こともあろうに指輪なんぞというそれまでの美意識になじまないものをつけるというのが嫌だったからだ。だいたい、指輪など単なる指輪屋の策略に過ぎないのであって「結婚指輪は給料の何倍」などという物言いも不愉快きわまりない。こういう何の根拠もない習慣にはぜひとも逆らいたい。

結局買ってしまったのだから策略には乗ってしまったわけだが、つくづく買わなければよかった。

そのあたりのことがわからない人たちからは新婚の頃「独身のふりをしようとして指輪しないんだろ」などと言われ、その救いがたい低俗さに腹を立てたものだ。

妻に聞いてみると私は当時「指輪をしないのは、卓球のボールを持ったときに当たってカチッと音がするのが嫌だから」と言っていたそうだ。ぜんぜん覚えていないが、自分のことながらナルホドと思った。

そういえば、卓球選手は指輪をしている率は少ないのではないだろうか。いつかこれで原稿を一本書いてやろう。

松下浩二インタビュー

卓球王国5月号の松下浩二のインタビューは面白かった。特に荻村伊智朗についてのコメントが興味深かった。「僕は荻村さんに褒められたことが一度もないことを忘れていません」という。今でも荻村が映っている映像を見るだけで緊張するという。

確かに荻村の著書『私のスタインディグオベーション』(ニッタクニュース刊)では松下について「練習をよくやるという話を聞かない」「アクロバティックな動きがない」と厳しく表現されている。

インタビューで松下は「荻村伊智朗を越えることが目標」と語った。そんなことを公言した者はこれまで誰もいない。一流どうしのなんとも空恐ろしい世界だ。

しかし荻村伊智朗はなんたって世界選手権金メダル12個、世界チャンピオン10名あまりを育成(誰のことかわからんが)、卓球関係の著書十数冊、あげくに国際卓球連盟会長だからなあ。あまりにも巨大だ。

社交辞令

日本人は社交辞令が多く、アメリカ人は社交辞令を言わないので、日本に来たアメリカ人が困ることが多いなどという話を前々から聞いていたが、現実はその正反対だった。

アメリカ人は明らかに日本人よりも社交辞令を言う。初対面でも「今度遊びに来て」とか「バーベキューでもしましょう」と平気で言うが、ほとんどはただの挨拶で、本当に誘っているわけではないので、本気にするとがっかりすることになる。

妻も、知人に「今度電話するから電話番号教えて」と言われるのはいいのだが、その人に聞かれたのは3回めだという。電話番号を聞いたことすら覚えてないのだ。つまりぜんぜん電話する気などないのだ。あまりのことなので、その知人の携帯を取り上げて自分の番号を登録してやったという。

私も会社の同僚のアメリカ人から「今度釣りにでも行こう」と言われたので、喜んで日取りを決めようとしたら急にしどろもどろになられて気まずくなったことがある。

もちろん中には本当に誘っている場合もあるが、その見極めがよくわからない。まあ、私は日本人どうしでもその加減がよくわからないのだが。とにかく、「アメリカ人は社交辞令を言わない」なんてのはとんでもないウソだ。

日本でもときどき「近くへ来たら家に寄ってください」などという社交辞令を言う人がいるが、私はそういうことは一度も言ったことがない。万が一、来て欲しくない人に本当に来られたら思うと恐ろしくてとても言えない。それともああいうことを言う人はとても人間が好きな人で、誰に来てもらっても困りはしないのだろうか。

grow a set

1月に帰任した田口くんの送別会のとき、カイルというアメリカ人が彼について楽しいプレゼンをした。ジョークが満載でアメリカ人たちは大笑いをして盛り上がったのだが、例によって私には4分の1も意味が分からない。

中でも印象に残っているのが、grow a setという単語をスクリーンに映し出したときにみんなが大笑いしたことだ。setを育てる(grow)という意味がさっぱりわからないし、なぜそれにみんなが大笑いしているのかもわからない。それで、翌日、カイルにそこだけ聞いてみた。すると、setとは男性の金玉のことだという。2個づつついているので、setと言うのだ。もちろん辞書には載っていない。それで、grow a setは、直訳すれば「金玉を育てろ」となり、「男らしく度胸をだせ、しっかりしろ」というような意味らしい。図らずも日本語でも「金玉ついてんだろ!」ということがあるので、似た用法なわけだ。

そういえば、grow a setという単語が使われた場面は、奥さんが怖くて強く物を言えない、というような場面だったので、それでみんなが笑ったのだ。

個々の単語が分かっても、こんな俗語を使われたのではひとたまりもない。まあ、仕事で”grow a set”などと言う機会も言われる機会もないので支障はないわけだが、こういうのが全部わかったらさぞかし見通しが良くなろうだろうなと思った。

労働者階級(Working Class)

映画通にだけ分かるBBCのコメディを見つけた。

ヒッチコックの恐怖映画『鳥』のパロディだ。よりによって”Working Class”とはさすがイギリス人、底意地の悪いジョークで、見事だ。

ニッタクニュース

他誌のことを書くのもどうかと思うが、卓球王国は太っ腹なのでまあいいだろう。

ニッタクニュース4月号が届いたが、水谷選手のインタビュー記事が面白かった。インタビューそのものではなくて、記者の言葉づかいが挑戦的でおかしかったのだ。

最初の方こそ

-5年間を振り返ると、いかがですか。

などと丁寧だが、

-当初はどういう練習を。

-最初の頃の成績は。

というあたりから、語尾がぶきらぼうで雲行きが怪しくなってくる。ドイツ留学時代に話がおよぶと、

-所属は。

-監督は。

-練習内容は。

-会話は。

と矢継ぎ早に詰問口調の質問が続く。傑作なのは次のやりとりだ。

-どうやって時間をすごしていたのですか。

水谷 普段は本を読んでいました。

-どんな。

ここに至ってついに私は声を上げて笑ってしまった。水谷、よく怒らなかったものだ。語尾がクエスチョンマークではなくて読点になっているところにも、低いトーンのぶっきらぼうな感じが表現されていて(意図してないだろうけど)秀逸である。

-当時は日本とドイツの滞在比率はどれくらい。

水谷 ドイツが6ヵ月、あと、遠征が3ヵ月、日本が3ヵ月ぐいらだったと思います。

-疲れました。

いや、疲れたのは記者じゃなくて水谷なんだが(笑)。
その後、昨年の広州での世界選手権の話になり、水谷が、3位ではなく優勝しないとダメだという思いを語る。

水谷 (前略)卓球の人はもちろんですが、普通の人がお祝いしてくれるようにならないと・・・。

-お祝いをしてほしかったということですか。
・・・ケンカを売っているのだろうかこの記者は。
以上、実際のインタビューどおりの表現ではないと知りつつ、面白いのでツッコミをさせていただきました。インタビューは次号に続くらしいので、ぜひとも次号もこのトーンを崩さずに掲載してもらいたい。

編集部員の実力

今月発売の卓球王国に「弱さをウリにしている王国編集部」と書いたら、友さんから「そんなのウリにしてませんから!」とメールが来た。「先日もあるチームと練習試合をして叩きのめしてきた」そうだが、そのチームが年配の人だけだったのはどういうことだろうか。

まあ、卓球雑誌を作るのに実技は必ずしも必要じゃないのでいいのではないだろうか。バードウォッチングの本を書くのに鳥にならずともいいわけだし。

世界卓球の速報ブログ

いよいよ世界卓球選手権横浜大会まで約1ヶ月となった。昨年の広州大会に引き続き、今回も現地からブログで実況をする予定だ。昨年の実況は『条太の広州ぶるるん日記http://www.world-tt.com/cgi-bin/rep0802i/rep0802i.cgi』というわけのわからないタイトルにして後悔したので、今年はもっとわかりやすいものにしたい。この広州日記、アクセスを見ると、通常は1日に4,5件だが、ときどきいっき読みする奇特な人がいるらしく、いまだに1日平均10~20件を維持している。嬉しいことだ。

などと考えていたら、今朝、今野編集長から今回の速報ブログのタイトルの連絡がきた。『ブルーライト横浜速報―伊藤条太の机上の空論web express』だそうだ。「ブルーライトヨコハマ」とはあまりにも古いが、編集長の青春は大切にしなくてはならない(1968年のヒット曲だ)。『広州ぶるるん日記』よりはわずかにわかりやすいのでよしとする。

横浜での開催とあって、中華街やラーメン博物館が今から楽しみだが、それよりも楽しみなのは夜ごと繰り広げられる「高島スクール」だ。熱海の樋口先生や世界選手権の舞台裏など、どこからが誇張なのかわからないスリリングな話を想像すると、今から緊張してくる。

試合の速報と合わせてブログで報告したいと思う。