カルマンの次にはタスカンビアとう町にあるヘレン・ケラーの生家に立ち寄った。
もちろんここも観光地になっている。
もっとも感慨深かったのは、彼女が育った母屋ではなく、離れにあった台所の小屋だ。当時は、台所は別の小屋になっているのが普通だったという。これが見事にボロボロだった。入り口が二つあり、左側が炊事をするところで、右側がコックが住んでいた部屋だということだ。これが歴史にも何にも残らないただのコックの部屋かと思うと、ある意味ヘレン・ケラーよりも感慨を覚えた。やっぱりこういうのに弱いのだ。
ヒロシマがどうのと書いてある黄色い建物もあったが、こんなのヒロシマにあるんだろうか。
この脈絡のなさと異常な執念は、山下清の貼り絵か、シュバルの理想宮http://ja.wikipedia.org/wiki/シュヴァルの理想宮(フランスの片田舎のシュバルという郵便配達夫がたったひとりで33年かけて造った建造物)を思い起こさせた。
パンフレットに載っていた尋常じゃない目つきのジョセフの写真を見ながら「やっぱりそうとうイカれてたようだな」ということで妻と意見の一致をみた。
今回の旅行の最大の目的は、キング牧師が暗殺された現場である『ロレアンヌ・モーテル』だ。モーテルの外にはその日、停められていた白い車(実物ではないが)が当日のままに停められていて、キングが泊まっていた部屋の外には花輪がかけられている。
モーテルの内部は公民権運動の博物館になっていて、アメリカが行ってきた有色人種への差別とそれに対する戦いの歴史が写真や映像で展示されていた。黒人がレストランで白人たちに囲まれて頭にケチャップをかけられたりこづきまわされたりする様子やバスの中での差別の様子が映像や実物大の人形で再現されていた。また、いかに差別が正しいかを力説する当時の白人たちの映像も上映されていた。キング牧師が泊まっていた部屋もガラス張りで触れないようにはなっていたが、見ることができた。
博物館の隣には、暗殺犯が銃を撃った建物がこれまたそのまま残されていて、暗殺の全容を詳細に検証した博物館になっていた。犯人が銃を撃った風呂場と窓がそのまま残されていた。
キング牧師はここで暗殺される前日、まるで自分の死を知っていたかのような有名な演説をしている。
以下はその引用
…前途に困難な日々が待っています。
でも、もうどうでもよいのです。
私は山の頂上に登ってきたのだから。
皆さんと同じように、私も長生きがしたい。
長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。
神の意志を実現したいだけです。
神は私が山に登るのを許され、
私は頂上から約束の地を見たのです。
私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、
ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。
今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。
神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。
私が住んでいるドーサン近辺の白人は今でもキング牧師のことをよく思っていない人が多いようだ。子供が通っている学校の先生ですら「彼が黒人をたきつけたためにかえって白人と黒人の対立が増した」などというたわ言を平然と言うほどだ。黒人に選挙権もなく、学校もレストランもバスもトイレも水飲み場も分けられていた状況がよっぽど居心地がよかったのだろう。