かつて、世界史に残る『ピンポン外交』という出来事があった。
それは1971年のことだ。当時、中国とアメリカは国交がなかったのだが、名古屋で開催された世界選手権の最中に、アメリカチームの選手のひとり、グレン・コーワンという男が、練習後にホテルへのバスにあわてて飛び乗るとそれが中国チームのバスだったことから始った。
当時、中国の選手たちはアメリカ人と会話をすることを禁じられていて、アメリカ人も中国人というのは自分たちとはまったく違う異常な人たちだと思っていた。それで、バスの中で誰もコーワンに話しかけない気まずい時間が流れたが、世界選手権3連覇の名選手、荘則棟が「いくら敵でもこれでいいのか。これは中国のもてなしの心に反するのではないか」と思い、チームメートの反対を押し切ってコーワンに話しかけ、カバンから織物を出してコーワンにプレゼントをしたという。
(以上は日本のテレビ『驚き桃の木20世紀』で見た内容だが、最近読んだ荘則棟の証言によれば、バスに乗り遅れたコーワンを中国選手が手招きをして自分たちのバスに乗せ、コーワンはすぐに通訳を介して中国選手たちと会話をしたと書いてあり、どちらが本当かわからない)。
一方、コーワンが中国選手団のバスに乗ったことを知った記者団は、ホテルの前でバスを待ち構えており、コーワンがバスから降りると記者たちに取り囲まれ、コーワンと荘則棟の写真が世界に発信されたという。翌日、コーワンはTシャツを荘則棟にプレゼントし、それがまた世界に好意的に報道された。これで何かを判断した毛沢東は、アメリカ選手団を正式に中国に招待することを決定し、世界を揺るがす大事件として報道された。これをきっかけとしてニクソンが動き、ついには中国とアメリカの国交が正常化したという、今や中学高校の歴史の教科書にも載ろうかという出来事なのだ。
ちなみに、アメリカ選手団は中国訪問の感想を「中国人も我々と同じように笑ったりする普通の人間だった」と語った。それほど異常な国だと思われていたのだ。
その歴史上の事件に居合わせた人がまさかラスベガス卓球クラブでフラフラしていようとは誰が思うだろうか。