あるママさんの話

ママさんといってもママさん卓球の話ではない。

先週末、ある飲み会の二次会で小さな飲み屋に行ったのだが、そのとき、たまたまカウンターで隣に座った年配の女性と話すことになり、そこでなかなか考えさせられる話を聞いたのだ。

彼女は54歳であり、あるスナックのママさんであり、この店のマスターとは30年来の知り合いだという。結婚をしたことはないが、かつてとても好きな男性が二人いて、二人とも死んでしまったという。ひとりは29歳のときに交通事故で死に、もう一人は今年、60歳を前にして病気で死んだという。その人も飲み屋のマスターであり、前々から体の調子が悪かったが、病院には行かず、病院に行ったときには内臓中に癌が転移していて手遅れだったという。健康診断には行ってなかったのかと聞くと、そのママさんが言うには「この商売している私たちがそんなもの行くわけないでしょ」という。もちろんママさん本人も行かないという。

どうして行かないかと聞くと、そのママさん、病気で死ぬのも運命だから治してまで長生きする気はないという。それに、死んだら待っててくれる人たちがいるんだから死ぬことは全然嫌じゃないというのだ。私は「あの世」がある可能性はゼロだと思うが、この人の、あまりに確信に満ちた安らかな語り口を前にすると、そういうことにして生きるのもいいものだなと初めて思った。それにひきかえ、長生きしたいと思っている自分が何か卑屈な存在のように感じられた。

かと思うと「死んだ人より生きている人の方がずっと怖いよ」などと、現実的なことを言うので「ほう、なるほど、さすが経営者だけあって現実も分かってるんだな」と思って続きを聞くと、なんとその意味は、生きている人の霊、つまり生霊(いきりょう)の方が怖いという話で、あまりのバカバカしさに我慢しきれず「ブハッ」と吹き出してしまった。

その生霊の話がふるっていた。そのママさんの店の常連で霊が見えまくりの女性がいて、あるとき、その女性の目の前でバチッと火花が散ったのだという。何事かと思って聞くと、ある男性がその女性のことを好きなので、それに嫉妬した奥さんの生霊がやってきて彼女の前で火花を散らしたのだそうだ。もはや検証とかいう以前の話である。

さらにママさん自身に霊感はないが、テレビ画面に幽霊が出るのは何度も見ており、その理由は「霊魂は電磁波だからテレビに映るため」と断言する。電磁波なら簡単に測定できるではないか。科学の外にあるからこそのオカルトを論じるのに科学の言葉を使う矛盾など、ものともしないのだ、こういう人たちは。

こういう、頭の痛くなるような目も当てられないオカルト話の上にしか「やすらかな死」は成り立たないのだろうか。

最後にこの店のマスターが「50過ぎればいつ死ぬかわかんないんだから我々みんな死刑囚のようなもんだよ」と言ったのが含蓄があって感銘を受けた。

酔いの回った頭で、感銘を受けたり吹き出したりうんざりしたりと、忙しい夜だった。