妻が一時はあきらめた高校生の次男が「ちょっと手かして」と言うので左手を預けていたら、写真のようにゴムを巻かれた。
「大発明」だそうだ。
注文をしていたジョージ・ハリスンの伝記映画『リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』のブルーレイが届いた。念のために書いておくと、ジョージ・ハリスンとはビートルズのメンバーだった人で10年ほど前に死んだ人だ。
当然、ビートルズ関係の映像やらエピソードがたくさん出てきて、勢いがついてしまったので、久しぶりにビートルズの曲を聴き込むことになった。
何ヶ月か前にテレビでビートルズの曲名をタイトルにした映画『ゴールデン・スランバー』を見たこともあり、その曲が入っている『アビイ・ロード』のB面(アナログレコード時代の用語だ)を聴いた。
『アビイ・ロード』はビートルズのメンバー間の関係が最悪で、できるだけ顔を会わせないようにして録音した最後のレコードである。発売は『レット・イット・ビー』の方が後だが、録音は『アビイ・ロード』が最後だ。当然、ビートルズ自身もこれが最後かもしれないと思いながら録音したので、曲の内容とか歌詞がそれを意識したものになっている。少なくともファンにはそう聞こえるが、ロックという表現形態を考えれば、バンドの状況を歌にしていたとしても不自然ではない。
『アビイ・ロード』のB面は曲の間の切れ目があまりなく、メドレーになっている。未完成の曲が多かったので、面倒だからつなげてしまえとポールが思いついたと言われている。
メドレーの後半「ゴールデン・スランバー」では「昔、道があった/故郷へと帰る道」という詩で曲は始まり、黄金のまどろみを誘う子守唄が奏でられる。
次の「キャリー・ザット・ウエイト」ではいよいよ「おまえはあの重荷をずっと背負っていくんだ/これからずっと」と繰り返し「僕は君にまくらを渡すわけじゃない/招待状を贈るだけだ/そしてお祝いの真っ最中に/僕は倒れる」といかにも意味深なことを歌う。彼ら自身へなのかファンへ向けてなのかとにかくただならぬ歌詞だ。
そして曲調が変わり「ジ・エンド」へとなだれ込む。冒頭に登場するのは、ビートルズの曲で最初で最後のドラム・ソロだ。かつての無名時代、メンバーがドラマーを探していたとき、ドラム・ソロなんかやる自己顕示欲の強いドラマーは嫌だと思っていたボールは、声をかけたリンゴ・スターに「ドラム・ソロなんてどう?」とわざと聞いて、ドラム・ソロをやりたがらないことを確認したというエピソードを自然に思い出す。メンバーは、最後を迎えるにあたってその花道をリンゴに用意したのだ。
ドラム・ソロが終わると、今度はこれまたビートルズには珍しいギター・ソロだ。ビートルズはテクニカルなバンドではないので、ギターのテクニックを誇るような曲はほとんどないのだが、ここでは憎いことに3人のメンバーが、ポール、ジョージ、ジョンの順で同じ長さづつ思い思いのソロを3回繰り返して弾く。もちろんこれは聞いて分かるわけではなく、そういう説明がされているというだけのことで、本当はこの順ではないのではないかとか、誰かがひとりで弾いているのではないかとか言っている人もいる。
最後のジョンのギター・ソロが終わると同時にそれまで大量の楽器で盛り上がっていた音はすべて消えうせてポールのピアノの単音だけとなり「結局のところ/君の受ける愛は/君が与える愛と同じになるんだ」と歌われ、オーケストラがかぶさり音的にも大団円を迎える。
http://www.youtube.com/watch?v=4HCaBAV4ZTI&feature=related
余りにも見事な構成である。後年、ポールがアビイ・ロードのメドレーをスタジオで再現したとき、エンジニアが感極まって泣き出したという。そりゃ泣くだろ、目の前でポール・マッカートニーにこれをやられたら。
そのようなことを思い出しながら『アビイ・ロード』のメドレーを聴きなおしたのだった。オチがなくてすまん。
正月が近づいて思い出すことは、親戚同士がよくお金を押しつけ合う光景だ。
お互いに遠慮だか礼儀だかを重んじて相手にお金を押し付け合うのだが、この光景がなんとも私には不愉快なのだ。一度や二度のやりとりならわかる。しかし延々とこれを続けるのはどういう神経なのか。
どう考えても相手はお金を渡したがっているのだから、それを突き返すのは礼儀どころか相手のことを考えていない自分勝手な所業である。中には、自分の金を延々と返されることに本気で腹を立てて怒り出すヤツまでいたり、帰り際にこっそりと相手の持ち物に金を忍ばせて勝った気になるヤツまでいる始末だ。こういうのは、礼儀が何のためにあるのか、まるで分かっていない人たちがやることなのだ。礼儀を「善意の勝負」だとでも思っている風である。
私は小さい頃からこういう光景を見せられてきて、そのバカバカしさにほとほとうんざりさせられてきた。小学生だったあるときなど、親戚が余りにも目に余る金の押し付け合いをしているのを見てムラムラと腹が立ってきて、そのお金を横から取り上げ「そんなに要らなかったら俺が捨ててやる」と言って遠くに投げたことがあった。当然、父にしたたかにぶっ叩かれて泣く羽目になったが、私の考えは今も少しも変わらない。
その反動もあってか、私はお金を出しても二度ぐらい遠慮をされたら引っ込めるし、もらうときも同じである。その方が相手は心地よいのだし、こちらは金が儲かるのだから一石二鳥だ。とにかくこのような空疎なやりとりは一刻も早くやめてもらいたいものだ。
社内の飲み会で、久しぶりにアメリカで同僚だった宮根さんと会い、震災で車を流された話になった。
震災全体の被害のスケールを考えれば、車を流されたという程度のことは笑い話の範疇だが、その中でも被害の大小はある。私などは29万円のクソマーチが流されただけなのでそのショックは最小の部類だが、おそらく宮根さんはその対極に位置するだろう。
宮根さんいわく「ルノー社初の本格的SUV(スポーツ用多目的車)のコレオスという車で、納車して10日目でした」とのことだ。「ガソリンは入っていました?」と誰かが聞くと「納車のときに満タンにしてもらっていました」と残念そうに語った。車の値段からすればガソリン代などどうでもよさそうなものだが、車を流された人の間では、他に言う事がないこともあり、結構ガソリンの話題で残念がったり笑ったりするのだ。
津波の後で宮根さんは、3台重なった車の一番上に自分の愛車を見つけたという。大事そうにその写真を持ち歩いていた。
中1の息子の地理の問題集を見てつい吹き出してしまった。
「次のうち、人口が集中しているのはどこか2つ選べ」という問題なのだが、その選択肢が
ア 工業の発達した先進国
イ 極地付近
ウ 砂漠地域
エ アジアの稲作地域
というのだ。中1だと分からない生徒もいるのかもしれないが、よりによって「極地」だの「砂漠」だのという選択肢がなんとも可笑しい。“サハラ砂漠の村上”さんつながりというわけではないんだが。
村上孝さんはとても珍しい指導者である。なにしろ実技がほとんどできないのだ。柏山さんいわく「カリスマ性はゼロ」だそうだ。
それではどうやって指導をしているのかというと、とにかく勉強熱心なのだ。指導者にありがちな自己顕示欲やプライドが皆無なので、脈絡がないほどにあちこちの指導者や選手を訪れて話を聞くのだ。この日も渋谷氏の話をくらいつくように聞き「私は情報に飢えているので渋谷さんのお話は砂漠に撒いた水のように私に染み込みました。“サハラ砂漠の村上”と呼んで下さい」と語った。
村上さんのもうひとつのネックは、あまりにも訛っているために地元の子供たちにすらときどき話が通じないことだ。私は彼の話はすべてわかるが、とても真似をすることはできない。同じ地域の人と比較しても1世代ぐらい上の訛り具合だと思う。小学生のとき、先生に「訛るな」と言われて頭を黒板にガンガンと叩きつけられたという人なのだ(訛りが個性だなどともてはやされる前の不幸な時代の子である)。
また、どこかでのイベントの酒の席で日本卓球協会の前原正浩専務理事に「名前と顔を覚えてもらうために」わざとからむという、トータルで得なのかどうなのか良く分からないこともする人である(本人は戦略家だと思っているようである)。今回は村上さんのおかげでこの懇親会に入れてもらったのでこれ以上は書かないが、そういうときはくれぐれも私の名前は出さないでもらいたいものだ。
ともあれ、4時間も渋谷五郎氏の話を聞けた、充実した懇親会であった。