月別アーカイブ: 3月 2011

無事でした

運よく死なずに済みました。

会社で地震に会い、社内防災班の指示に従って6階建ての建物に移って間もなく津波が来て1階の8割ぐらいいまで水が来ました。社員は全員が3階以上に避難していて無事でしたが、構内に駐車場から車が流されてきました。

流れが止まっても水は引かず、車の屋根などで助けを呼ぶ人がいて、社員が交代で0℃の水の中を泳いで助けに行き、3人は助けましたが、翌朝、一人が車の屋根の上で亡くなっていました。

家は海岸から1.5kmほど内陸にあるのですが、堤防の効果があって水は玄関の手前で止まりました。川の反対側は1階の半分くらいまで浸水したそうです。

現在はかなり内陸にある妻の実家に身を寄せています。

亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。

素行調査をするそうだ

出張先で見かけた趣きある広告だ。やけにひなびていて広告の内容も内容だけに心に訴えかけるものがある。なんだか懐かしい昭和の臭いがする。なぜか写真が外人なのがキュート(謎だ)。

あんまりこういうのは見たことがないけど、この辺りでは多いのだろうか。

一瞬「盗聴」や「盗撮」によって調査するのかと思ったが、そうではなくて誰かに盗聴や盗撮をされているのを調査するということだろうな。でも、探偵って調査のためには盗撮することもあるなあ。うーん、微妙。

「徹底対抗布告」するそうな

近所のドン・キホーテが、これまた近所にある「イエローハット店様」やら「カインズホーム様」やらに徹底対抗布告するそうだ。対抗するのは勝手なのでわざわざ「布告」するようなもんでもないように思うがどうだろうか。しかも布告すると言っているわりには自分の店に貼っているだけだし(当たり前だがな)。

まあ、「対抗」することを布告されても先方もどうしようもないわな。

そういうことを考えさせられるユーモアあるディスプレイであった。こういうのは面白ければ何でもいいわけでな。

「目が死んでる」

息子たちの高校受験が今日終わったので、ご苦労さん会に回転寿司に行った(長男と次男は双子である)。

食べ終わって店を出ようとすると、入り口にいかにも新鮮そうに魚が飾ってあるのに気がついた。

長男「あ、目が死んでる」
次男「いや、全身死んでるでしょ」

勉強で疲れた頭を休めて欲しいものだが、休めすぎが心配だ。

ウオッシュレットの悲劇

アメリカではウオッシュレットがあまり普及してないが、日本に来てウオッシュレットを使ったアメリカ人の多くがその便利さに驚嘆の声を上げる。中にはどうしても欲しくて、わざわざ取り寄せて設置する人もいると聞く。

数年前に死んだ祖母も「便利なもんだ」と喜んでいたのを思い出す。

私が初めてウオッシュレットなるものを知ったのは、たしか80年代末だったと思う。東京に遊びに行ったときに新宿駅の近くの公衆トイレにあったのだ。適当に入ったらなんとそこは有料トイレで、多少損した気分になっていたら、そういう装置がついているトイレだったので使ってみたのだ。初めての体験だったので、何かとてもくすぐったくて落ち着かなかったことを覚えている。我が家には今もウオッシュレットはないが、会社や公衆トイレなど慣れているのでそのときの感覚はもう思い出せない。

ウオッシュレットといえば失敗談がある。息子がまだ5歳くらいの頃、実家に行ったときに、息子をトイレに連れて行ってウンチをさせた後、ウオッシュレットを使って驚かせてやれと思い、スイッチを押したのだ。すると、息子の尻があまりに細くて小さいため、勢いよく噴出されたお湯は息子の尻をかすめて上空に跳ね上がり、私の顔にかかったのだ。考えれば容易に予想できたアクシデントだが、こういう、失敗しても致命的ではない程度に危険なことは、あえてやってみたくなるのであった。

おかげで息子の尻に湯を当てて驚かすつもりが、自分が「うわっぷ」と驚くハメになったのだった。

息子の妙技

中学男子なら屁などを得意になってするものだが、今日の次男の技には感心させられた。

屁を何発もしながら「うっ、あっ」などと銃弾を浴びたときのように腹を押さえたりのけぞったりしながら倒れるのだ。自分の屁の音を銃声に見立てているところが気が利いている。これが日本特有の「見立ての文化」である。

しかも実際には弾丸が打ち込まれるのとは逆に放出しているところが可笑しい。

このような遊びを初めて見たので、息子ながらとても感心した。

「就活難航で大学生の自殺者が倍増」

2,3日前にネットでこのような見出しの記事が出ていた。「就活失敗による大学生の自殺2倍に」「自殺13年連続3万人超」「就職失敗が急増」というサイトもあった。

あいかわらずのインチキぶりである。これを見ると、なにかとんでもなく状況が悪くなっていると誰でも思うだろう。そう思わせるためにそういう部分だけを選んで見出しにしているからなのだ。

記事をよく読むと、確かに「就職失敗」が原因の自殺は2倍になっている。
平成10年は46人で、平成9年の23人の2倍になったというのだ。大学生以外を含めた「就職失敗」が原因の自殺者は354人から70人(20%)増の424人である。

一方、「借金関係」の項目を見ると、2640人で前年の3261人の19%減になっていて、621人も減っている。「就職失敗」と「借金関係」を含んだ「経済・生活」全体としては前年の8377人から939人(11%)減って7438人となっている。

それでは自殺数全体としてはどうかというと、31,690人で、前年から1155人(3.5%)少ないのである。

つまり、自殺数は全体でも原因別でも多くの項目で前年より減っているのに「就職失敗が原因で自殺した大学生」、それもわずか23人が46人に増えたことだけをとりあげて「倍増」と見出しに使っているのだ。

マスコミは常にこのようにネガティブなことを取り上げて騒ぐ。それは不安や恐怖の方が人々の注目を得られ、「売れる」からだろう。何の根拠もなく青少年の犯罪が凶悪化しているというデタラメを書くのもそのためだ。

景気というものは文字通り人々の気持ちを反映するものだが、不況の原因を作っているのはマスコミにもあるのではないだろうか。戦争中の大本営発表のようにウソまでは書かないにしても、せめて事実を歪めるような印象操作はやめてほしい。むしろ逆に良い状況をとりあげた印象操作をした方が景気は良くなることはまちがいない。ためしにどこかの新聞がそういうことをやってくれないだろうか。

私なら今回の見出しは「自殺者数、1155人減」と書くだろう。23人しか変動していない項目をとりあげて「倍増」と書くなどという芸当はとてもできない。

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