放射能の脅威

放射線被爆による健康被害を心配する声があちこちから上がっている。ちゃんと計算すれば、福島から離れた関東圏の放射線量など全然問題にならないほどの微量なのに、「検出された」というだけで大騒ぎである。なぜこうなるかといれば、マスコミの習性で、恐怖で人の興味をひきつけようと刺激的な見出しにするからだ。注意深く見れば、見出しは必ず刺激的で恐ろしいことを連想させるものになっていることがわかるだろう。そして読んでみるとたいしたことはない内容であることが多い。

「検出された、検出された」と散々書いておいて、最後の最後に「健康被害の心配はない」である。これでは大衆が恐怖に踊らされるのも当然だ。

ネットでいろいろ調べたところでは、長時間の放射線被曝と発ガン確率で証明されている関係は、総被曝量100ミリシーベルトで発ガン率0.5%ということだ。合計で100ミリシーベルト浴びれば、その後の人生で癌になる人が1000人に5人いるということだ。そして、被曝量と発ガン率は比例するとされている。ただしこれは、100ミリシーベルト以上の被曝者のデータから導き出された関係であり、100ミリシーベルト未満の被曝についてはその影響があまりに微量で検証が難しく、影響があるのかないのか自体が未だに実証されていない。つまり、10ミリシーベルト浴びたら10000人に5人が癌になるかどうかは分かっていないということだ。わからないが、念のため、そのように仮定して被曝限度量などを決めているという。

なぜ実証が難しいかといえば、そもそも人間は放射線がなくてもかなりの確率で癌になるからだ。たとえば日本人は生涯に約40%の人が癌になるのだから、放射線を合計100ミリシーベルト浴びた人が癌になる確率が、浴びない人の約40%に対して0.5%だけ増えることを実証しなくてはならないのだから、バラツキを考えるとほとんど計測不可能であることがわかるだろう。ましてや年間5ミリシーベルトだの10ミリシーベルトだのという量は、それで癌になるためにはいったい何年かかるのかというほどの微量なのである。

こういうことがわかれば、現在、水や食品から検出されている放射能物質がいかに問題にならない量かがわかるだろう。枝野長官も「ただちに健康に影響はない」なんて表現ではなく、「屋外で裸で24時間1000年浴び続けたときに10000人に5人が癌になるかもしれない量です」などと言えば誰も心配しないのにと思う。

週刊誌を見ると、当然のように恐ろしいことばかり書いてある。週刊朝日など、故意か間違いか「年間被曝量限度である1ミリシーベルト浴びると10000人に500人が癌になる」などと1000倍も間違ったことを平気で書いている。おそらくこれは、被曝量と癌発生率の公式な学術見解である「1シーベルトで5%」というのを単位を間違えたものだろう。だいたいこの記事にしたがうと、日本政府は100人に5人も癌になる被曝量を年間被曝量の限度にしていることになり、ムチャクチャである。記事を書いていて自分でおかしいと思わなかったのだろうか。たぶんオモシロ怖ければそれでいいんだろう。

バカな情報を鵜呑みにする大衆も悪いとはいえ、こうまで堂々と書かれたら信用してしまうのも無理もない。こういう報道の詭弁やウソは、もはやクイズをしかけられているようなものだ。ちなみに、このブログのタイトルに「脅威」とあるのはもちろん皮肉である。

他にも「チェルノブイリのように原子炉が爆発すれば」などとそもそも福島原発では有り得ない仮定のもとに「放射性物質が首都圏まで広がる」などと、その量を考えずに恐怖を煽っている。放射性物質が広がるのは当たり前である。昨日のニュースではすでに北半球全体に広がっているという。問題はその量なのだ。健康や自然体系に問題のない量がいくら広がったって何の問題があろうか。

もうひとつ付け足せば、人体に影響があるのは「放射線」であって「放射能」ではない。何かの「能力」が危険だというのは、言葉にこだわる私にとってはなんとも許しがたい表現である。どうしても放射能という言葉を使いたいなら、せいぜい、放射能物質が危険だとでもすべきだろう。「放射能で巨大化した怪獣」などが出てくる映画やドラマなどのために「放射能」という言葉が意味もわからずに使いまわされて定着したせいだろう。まともな学者はみんなきちんと放射線と放射能を使い分けている。なんでもかんでも放射能とだけ表現している記事や発言は、それ自体が素人の証拠であり信用するに値しない。そしていたずらに恐怖を煽っているのは常にそういう人たちであり、それはもはやただのデマと同じなのである。ましてやツイッターだの友達から聞いた話など、話にも何にもならない。

このブログのタイトルに「放射能」とあるのも、もちろん皮肉である。