時の流れ

「ジョン・レノンの31回目の命日」と書いて実は愕然とした。31年も経ったって、本当かと思う。なにしろその夜のことをついこの前のようにはっきりと覚えているからだ。

1980年だから高校2年のときだ。ジョンが死んだと報道された夜、自分の部屋で5cmぐらいの正体不明の金色の毛を見つけ、その端をつまんだらその毛が勝手に真っ直ぐに上に向かって立ったのだ。その極めて異様な立ち方に「ジョン・レノンが来てるのか?」と鳥肌が立ちながら思ったものだった。バカだ。岩手県の高校生の家に来るわけないのに。

その頃は、30年経つどころか自分が30歳になることすら想像できなかった。大学1年のときに肺の手術をしたり、友人が白血病で死んだこともあって、自分は25歳まで生きられるのだろうか、働いてお金をもらうようになって車に乗って好きなものを何でも変える楽しい時までに不慮の死を遂げたりしないだろうかなどと思っていたものだ。今よりもずっと死から遠い時期ではあるが、まだ楽しいことをしていないという思いのために死が怖かったのだ。

今ならまあ、もっと早い人もいるのだから仕方がないとある程度あきらめることが出来る。立花さんなど「特にやり残したこともないので今死んでもそれほど悔しくもない」と言っていた。私が言うのもおかしいが、立花さんは特に歴史に残る偉大な仕事をしたとか、死ぬほどの道楽に明け暮れたとかいうわけではなく、単に欲がない人なのだ。

そんなわけで、あれから31年も経ったというのだから呆れる。10年経ったときには「もう10年か」と思ったものだが、20年経ったときのことは思い出せもしない。

まあしかし、インターネットでこんなブログを書くなんてことは30年前には思いも着かなかったことを考えると、やはり時は確実に経ち、いろいろとそれなりに人生を楽しんでいるのだろう。31年経ったのだ。