町山智浩

2ヶ月ほど前、ふと近所の本屋で手に取った本で、久しぶりに素晴らしい作家と出会った。町山智浩という人だ。『映画の見方がわかる本』というのだが、これまでに読んだどんな映画解説本とも違う、本当に面白い本だった。

簡単に言えば、それぞれの映画の構想段階の資料や関係者の発言などを根拠にして、作者の意図や本当の意味を探ることで、映画を楽しむことを助ける本である。往々にして芸術家は自分の作品を説明することを嫌い「見た人が好きなように感じてくれればいい」などと言うし、それを真に受けて「芸術を鑑賞するのに余計な知識は不要でありそれは本来の楽しみ方ではない」という人がいる。本来もクソもない。その方が面白い人はそうすればよいだけのことだ。私は断然その方が面白い。作者の意図や前提となる事実を誤解したまま感動して何になるというのだ。

たとえば『2001年宇宙の旅』はいろいろと哲学的で難解なことで有名だが、実は全然そうではなく、すべてのシーンには明快で即物的な意味があったのだ。猿が進化するきっかけとなったモノリスという黒石板は神秘的なものではなくて宇宙人が作った人工的な「装置」だし、ボーマンが宇宙で18世紀フランス風の部屋で食事をするシーンは、宇宙人がボーマンをもてなすために地球の様子を真似て技術的に再現した部屋なのだ。こういった本当の意味を説明するナレーションや実際に撮影されたシーンが沢山あり、それはもう議論の余地がないのだ。それをキューブリックは編集の段階で次々と情報を削ってわざと意味が分からないものにした。理由は「映画のマジック」のためだ。わざと分かりにくくした方が、見るほうがあれこれと深読みをしてくれて評価が高まると思ってのことなのだ。だから、分かりにくくなった部分をトンチンカンな解釈をして論じてもまったく無意味なのだ。

こういったことを『タクシードライバー』『時計仕掛けのオレンジ』などといった名作について事細かに論証していくという、そういう本である。

さて、それだけならただの「映画マニアのための裏話本」にすぎないようだが、そうではない。これらの裏話を通して町山の映画に対する思いや言いたいことが伝わってきて、読者はそれに感動するのだ。映画評論に限らずあらゆる評論は、作品の解説のためだけにあるのではない。評論自体がその人の表現であり作品なのだ。どんなに詳しい映画の裏話を仕入れたところで、誰も町山のようには書けまい。まさに帯に書いてあるようにこの本は「町山智浩以外には誰も書けない映画論」なのだ。特に、ポール・シュレイダーがなぜ『タクシー・ドライバー』を書き、スコセッシがなぜそれを監督したかを解説するあたりは白眉である。

それにしてもこんなに優れた評論家を今まで名前も聞いたこともなかったとは。損したような気になる一方で、新たな楽しみが増えて嬉しいような気もする。
昨夜、YouTubeで初めて顔を見たが、そのパフォーマンスも素晴らしかった。
http://www.youtube.com/watch?v=Xll4jPQ6c-8
もう「一生ついていきます」という気分だ。