今日は、営業の担当者であるMさんと、代理店のAさんと一緒にお客様のところをまわってきた。私は入社以来、ずっと社内で技術の仕事をしており、お客様のところに行くのは初めてだったので、とても新鮮であった。
Mさんと会ったのは今日が2回めで、Aさんとは初対面だったので、車中いろいろと世間話をした。私は特定の話題にはめっぽう詳しいものの、世間一般のことは知らない方なので世間話は得意ではない。しかしAさんの出身が埼玉の所沢であることを聞くにおよび、すかさず「タマスの工場がありますね」と食らいつき、そこから卓球の話に持ち込んで初心者用の軽いウンチクを披露した。卓球が仕事に役立った極めて希なケースだ(たいした役ではないが)。
3社を回り終わって夕方にAさんとは別れ、Mさんとふたりで喫茶店で今日のまとめを行ったのだが、そこでMさんは思わぬ告白をした。「実は私も卓球をしていたんです」という。普通に考えれば、別に告白というほどのことでもないのだが、話を聞くとそこにはただならぬ思いが込められていた。Mさんは中学高校の6年間を卓球部で汗を流した。ところが大学に入ったときに、なんとなく卓球をやっていたことが恥ずかしいという時代の雰囲気を感じ取り、その「過去」を封印したのだという。年齢を聞くと、彼が大学に入学したのは1985年であり、まさに「卓球根暗ブーム」の直撃を受けたことになる。場の空気を読むことに長けた彼の特性が、現在の優れた営業マンの地位を築いたと考えれば納得がいく。ほぼ同世代でありながら、ぶっちぎりに狂信的に卓球にのめり込んだ私や田村とは人間の特性が正反対なのだ。
その決心はかなり強烈で、奥さんにすらその過去を話したのは結婚する直前だったという。奥さん以外の人に話したのは今日が初めてだそうだ。実に27年間も「卓球」を封印してきたことになる。いったい「卓球」がどれほど彼の心に暗い影を落としたのだろうか。だから車中で私が「タマスの工場」の話をしたときに、封印していた過去が急に蘇り「ううっ」と込み上げるものがあったという。そして、Mさんの表現を借りれば「異常な熱意」で卓球の話をする私のことが奇妙かつ脅威に感じられたという。「今日こうして、思い切って話をしたことで当時の自分に会ったような気がしました。肩の荷が降りました」とMさんは語った。
なんとコメントしてよいものか・・・。私がドイツに世界選手権を見に行った話までするのを聞いていたMさんの混乱・葛藤を思うと、なんとも可笑しい。ともあれ、他人の肩の荷を降ろすのを手伝うことができて嬉しい。ここでも卓球の話が役に立ったわけだ(トラウマの原因も卓球だったわけだが)。
なお、Mさんの奥さんは最近、3歳のお子さんにミニ卓球セットを買ってきて「お父さんに教えてもらいましょーねー」とおちょくるのだそうだ。こういう卓球の扱いは、昔の私ならムキになって批判するところだが、今ではそうやって話のネタになること自体が嬉しい。卓球はセコくて暗くてもいい。親しみやすくてとてつもなく面白い、それでいいではないか。
ちなみにMさんの戦型は中国式ペン表ソフトだったそうだ。よりによって特別セコい・・・(あ、気にするかな?)。Mさんの口から「ピョンヤン大会」と言う言葉が出たとき、不覚にも感動してしまった。本当はMさんの写真を載せたかったのだが「それだけは勘弁してください」とのことだ。さすがに告白してすぐでは心の準備もできていないのだろう。彼の心の中の卓球を氷漬けにしている氷が解ける日を待ちたい。