年別アーカイブ: 2012

「テレ東伝説」

テレ東伝説というのがあるらしい。どんな事件があってもテレビ東京は通常の番組編成を変えないことを指すという。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%86%E3%83%AC%E6%9D%B1%E4%BC%9D%E8%AA%AC

非常事態のレベルとテレビ東京の行動の関係は以下のようなものだという。

レベル1:NHKが特番を開始。(注意報発令)
レベル2:日テレ、TBS、フジ、テレ朝が特番を開始。(警報発令)
レベル3:テレ東がテロップを入れる(避難勧告発令)
レベル4:テレ東が通常放送を打ち切る (避難命令発令)
レベル5:総理大臣、国民に向けて会見(非常事態宣言)
レベル6:テレ東、アニメを放送途中に打ち切り緊急特番を開始する(地球滅亡。少なくとも日本の終わり)

また、実際の事件とテレビ東京の番組の”実績”が以下のように上げられている。

湾岸戦争 → 楽しいムーミン一家と三つ目がとおるで高視聴率獲得
阪神・淡路大震災 → ムーミン再放送、覇王大系リューナイト、ゲーム王国、BLUE SEED、ミュータントタートルズ、I love SMAP、開運!なんでも鑑定団
地下鉄サリン → ムーミンの再放送
麻原判決 → 風呂58歳退職

素晴らしい。

酒の強要

急性アルコール中毒で重態だった小樽商大の学生が亡くなった。やりきれない思いだ。よりによって酒を飲まされて亡くなったというのだから、その悔しさたるや筆舌に尽くしがたいだろう。

最近は私も日本酒が大好きになり、週に2日ぐらいは家で缶酒を飲んでいるが、酒にまつわる礼儀だか挨拶だかが反吐が出るほど嫌いである。学生のときは酒はすべて嫌いだったから、一気飲みをさせる先輩など殺意を覚えるほど腹が立った。なぜ単なる嗜好品である酒を飲まなくてはならないのか。それのどこが礼儀なのか。好きでもない酒を飲まされるということは、しょっぱくて食えないソバ汁や辛くて食えないカレーを食わされるのと同じである。そんなこともわからないバカが他人に酒を強要するのだ。

しつこく他人に酒を飲ませる奴は、酒を飲むことによって普段言えない本音を言ったり、あるいは醜態を見せ合うことでより親密になるとでも思っているのだろう。あるいは自分が醜態を見せているのだから他人にも見せて欲しいと思うのだろう。それで「酒を飲まない奴がいると白ける」だのと気が狂ったようなことを言うのだ。そもそも酒を飲んだから醜態を晒したり失礼なことを言って良いというのが間違っている。酒を言い訳にするぐらいなら飲まないでもらいたい。本音はしらふで言え。

私は宴会でも酒を注ぐのも注がれるのも大嫌いである。自分の好きなときに好きなだけ飲みたい。当たり前の話だ。初対面の相手などには、会話のきっかけをつかむために注ぐことはあるが、そういう場合以外は他人に酒は注がない。仕事で上司などに酒を注がざるを得ないときは「ああ、魂を売るとはこういうことなのだなあ」と思う。

とにかく酒を飲むのが礼儀だというのだけは許せない。いつか日本からこんなバカな風習がなくなって、飲み会で死ぬ人が一人もいなくなってほしい。可哀想に。合掌。

滑り台

どうも家では私のギャグは息子たちにさっぱりウケない。
今朝など、私が駄洒落を言うとすかさず長男が「滑った」、次男が「滑り台用意したら」と冷たい。まったく不思議だ。

営業マンMさんの告白

今日は、営業の担当者であるMさんと、代理店のAさんと一緒にお客様のところをまわってきた。私は入社以来、ずっと社内で技術の仕事をしており、お客様のところに行くのは初めてだったので、とても新鮮であった。

Mさんと会ったのは今日が2回めで、Aさんとは初対面だったので、車中いろいろと世間話をした。私は特定の話題にはめっぽう詳しいものの、世間一般のことは知らない方なので世間話は得意ではない。しかしAさんの出身が埼玉の所沢であることを聞くにおよび、すかさず「タマスの工場がありますね」と食らいつき、そこから卓球の話に持ち込んで初心者用の軽いウンチクを披露した。卓球が仕事に役立った極めて希なケースだ(たいした役ではないが)。

3社を回り終わって夕方にAさんとは別れ、Mさんとふたりで喫茶店で今日のまとめを行ったのだが、そこでMさんは思わぬ告白をした。「実は私も卓球をしていたんです」という。普通に考えれば、別に告白というほどのことでもないのだが、話を聞くとそこにはただならぬ思いが込められていた。Mさんは中学高校の6年間を卓球部で汗を流した。ところが大学に入ったときに、なんとなく卓球をやっていたことが恥ずかしいという時代の雰囲気を感じ取り、その「過去」を封印したのだという。年齢を聞くと、彼が大学に入学したのは1985年であり、まさに「卓球根暗ブーム」の直撃を受けたことになる。場の空気を読むことに長けた彼の特性が、現在の優れた営業マンの地位を築いたと考えれば納得がいく。ほぼ同世代でありながら、ぶっちぎりに狂信的に卓球にのめり込んだ私や田村とは人間の特性が正反対なのだ。

その決心はかなり強烈で、奥さんにすらその過去を話したのは結婚する直前だったという。奥さん以外の人に話したのは今日が初めてだそうだ。実に27年間も「卓球」を封印してきたことになる。いったい「卓球」がどれほど彼の心に暗い影を落としたのだろうか。だから車中で私が「タマスの工場」の話をしたときに、封印していた過去が急に蘇り「ううっ」と込み上げるものがあったという。そして、Mさんの表現を借りれば「異常な熱意」で卓球の話をする私のことが奇妙かつ脅威に感じられたという。「今日こうして、思い切って話をしたことで当時の自分に会ったような気がしました。肩の荷が降りました」とMさんは語った。

なんとコメントしてよいものか・・・。私がドイツに世界選手権を見に行った話までするのを聞いていたMさんの混乱・葛藤を思うと、なんとも可笑しい。ともあれ、他人の肩の荷を降ろすのを手伝うことができて嬉しい。ここでも卓球の話が役に立ったわけだ(トラウマの原因も卓球だったわけだが)。

なお、Mさんの奥さんは最近、3歳のお子さんにミニ卓球セットを買ってきて「お父さんに教えてもらいましょーねー」とおちょくるのだそうだ。こういう卓球の扱いは、昔の私ならムキになって批判するところだが、今ではそうやって話のネタになること自体が嬉しい。卓球はセコくて暗くてもいい。親しみやすくてとてつもなく面白い、それでいいではないか。

ちなみにMさんの戦型は中国式ペン表ソフトだったそうだ。よりによって特別セコい・・・(あ、気にするかな?)。Mさんの口から「ピョンヤン大会」と言う言葉が出たとき、不覚にも感動してしまった。本当はMさんの写真を載せたかったのだが「それだけは勘弁してください」とのことだ。さすがに告白してすぐでは心の準備もできていないのだろう。彼の心の中の卓球を氷漬けにしている氷が解ける日を待ちたい。

血液型と性格

エセ科学といえば血液型と性格の関係だ。Yahoo!におかしな記事が出ていた。
http://netallica.yahoo.co.jp/news/277063

デスクトップがどれだけ整理されているかを、963人に聞いたそうだ。
よりによって「本人に聞いた」というところが可笑しい。
これでは実際に整理されていたかどうかと、それを本人がどう評価したかが混じった結果しかでてこない。いったい何を調査しようとしたのだろうか。
しかも結果は血液型に有意差なし。当たり前だ。

血液型と性格が関係がないことはとっくに証明されている。そもそも日本での最初の大がかりな研究は1926年に旧陸軍で行われたものだ。血液型と性格に関係があれば、それを利用して効率のよい軍隊を組織しようとしたのだが、結局、何の関係もなくて使えないとがわかったのだ。その後も何度か統計が取られているが、一度も有意な結果は出ていない。血液型性格判断が信じられるようになったのは、能見正比古という放送作家が何の根拠もなく自分の周りの少数の人間の血液型をもとにデタラメに理論を作って本を書いたのが始まりである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E8%A6%8B%E6%AD%A3%E6%AF%94%E5%8F%A4
血液型と性格の関係は、そもそもの始まりからまったくのヨタ話なのだ。

血液型と性格に関係がありそうに思えるのは、あてはまる部分、当てはまる人を見つけているだけのことで、占いと同じである。私だってそう感じることはある。しかしいくらそう感じても、統計で明快に否定されている以上、その直感は否定しなくてはならない。「統計で否定されていてもなんとなく関係がありそうな気がする」と自分の感覚を優先する考え方は「放射能の影響がないとわかっていてもなんとなく福島から来た人には近づきたくない」という考えと同じ心理である。自分の直感や感覚を否定し、事実を根拠にして行動を決めるべきなのだ。

血液型性格判断が一つだけ性格の判定の役に立つことがあるとすればそれは、「科学的根拠がない」という話を聞いていながらなお血液型の話などする奴はバカだということだ(献血や輸血の場面を除く)。

エセ科学

家の郵便受けに、放射能を除去するための菌を撒くとかで、その説明会のチラシが入っていた。最初、まともなものかどうか分からなかったが「微生物さん」と書いてあったので、なんともいえない怪しい臭いが濃厚に立ち込めた。そこに書いてあった責任者の名前をネット検索してみると「波動」という言葉が踊っていた。
エセ科学に確定だ。この言葉が入っているものにまともなものはないのでご注意を。意味不明の未知の現象のことを波動と言っているので、ゆめゆめ本気にしてはならない。

トリックアート

連休中に、仙台市営の施設で「トリックアート」という展示があったので息子たちと行ってきた。メインは立体感のある絵なのだが、なかなか面白かった。だいたいこういうのは写真で見ると面白そうだが実際に見ると錯覚が起こらないものだが、これは実際に見ても不思議な感じがした。たかが絵でよくここまで錯覚をおこさせられるものだ。
右端の写真は、床に書いてある絵の上でしゃがんでいるだけであり、実際には台はない。

次男のギャグ

今朝は雨が降りそうだったので、息子たちを学校まで車で送った。

その車中「お前たちはどんな大人になるのかな」というようなことを言うと、次男が「25歳ぐらいまで家でパソコンしてて、銀行に行ってデカいことする」と言った。なかなか面白いじゃないか。私が誉めると次男はさらに「先生がスキマ時間を上手く使えって言うから、スキマ時間使ってゲームする」と言ってゲーム機を立ち上げる音がした。その後、しばらく静かだったので声をかけると、ぐったりした声で「酔った」と言った。ダメだこりゃ。