一昨日は久しぶりに大きな地震が来て交通網が麻痺したため、東京からの出張者が帰るのをあきらめて泊まることになった。私は田村らと予定していた飲み会に行けなくなったので「飲みたい」という気持ちを出張者にぶつけた結果、二日連続でお酒をお供することになった。
昨日紹介したNさんとコンビで出張に来ていたのがKさんという人だ。
この方もまた強烈な人で、とにかくエネルギーの量が半端ではなかった。エネルギー保存の法則はどこいった?という感じである。
女性では珍しく、東工大の大学院を卒業しているのだが、入学までの経緯がとても興味深かった。話せば長くなるが、彼女は中学時代、運動をしなかったためか大変な肥満であり、3年間で体重が28キロから56キロまで倍に増えたのだという。当然、それは大きなコンプレックスとなり、高校ではなんとかそれを挽回しようとバドミントン部に入学。ランニングをすれば学校でビリから2番目だったという。部活では来る日も来る日も走らせられ、グラウンド走では女子には2週抜かされ男子には3週も抜かされる。とにかく遅いために自分だけ休憩する時間も与えられずに次の運動をさせられる日々だったという。
ところが2年のある日「あれ、今日はあんまり苦しくない」と感じたのを皮切りにどんどんと速くなり、ついには全校で9番になってしまった。これで彼女は「自分にできないことはない。何でもできる!」と思い込むに至った。これはその後の彼女の人生を決めるのに十分な経験であった。そして彼女はあろうことか「東大に入る」と何の脈絡もなく決意をするに至る。なんという思い込みの強さだろうか。
「君には無理だ」という誰の意見も聞かず、1年目は受験した学校をすべて落ちて軽く浪人(ほとんど名前しか書けなかったという)。それもそのはず、その時点の彼女の偏差値は38だったという。これでは東大どころか東大寺も入れまい。それから気が違ったように勉強をし、夏にはもう偏差値75になったというのだから、凄いというよりも、この人はどこかオカしいのではないだろうか。
彼女の異様なポジティブさを表す話がある。浪人中、志望校は東大だったのだが、何度模試を受けてもE判定以外は見たことがなかったという(Eより下はないのだ)。そのためDとの距離がずっとわからなかったのだが、あるとき初めてD判定をとり「よし!これで東大が射程距離に入った!」と思ったというのだからあきれる能天気さである。同じ予備校に通う東大教授の息子がB判定で早々に東大を諦めて東工大に志望を落としたのと好対照だったという。
ここまで話を聞くと、誰でも努力すれば成果が出るという「いい話」に聞こえるが、もちろん私はこういう話は簡単には信用しない。いくらなんでも根っから理解力も記憶力もない人が努力して東工大に入れるなんてことがあるはずがない。
「もしかしてあなたはもともと頭は良いのに、恐ろしく間違った勉強をしていただけなのでは?」と聞くと、案の定、その通りであった。成績が悪いときは、答を見てそれを理解しただけでわかった気になって、自分で解いてみるということをしたことがなかったという。また、数学はいつも半分しか点を採れなかったが、あるとき、テストの後に「解るまでじっくり解いてみよう」とゆっくりとやってみたらなんと全部できたという。一体どれだけ慌て者だったのだろうか。
私はかつて、家庭教師先のお母さんが「この子は頭は悪くないんですが勉強のやり方がわからないだけなんです」と異口同音に言うのを聞いて、いつも「それは違う」と思っていたのだが、本当にそういう人がいたのだ。
ともかくこのKさん、異様にエネルギッシュで、バドミントンは東工大時代に国公立大会で優勝して今も現役で、他にマラソン、登山、スキー、それでもあきたらず昨年から娘に習わせていたクラシックバレエをついには自分もやり始め、上がらない足を上げるのに苦労しているという。そして仕事では新商品立ち上げのキーパーソンとして仙台に出張に来ているのだ。いやはや圧倒的なエネルギーである。
この泊まりの出張で、朝食と弁当を作らなくてもよいのが嬉しくてたまらないと言っていた。なんともお疲れ様なことである。体を大事にしてほしいものだ。