日本の卓球の理想主義

昭和22年の卓球雑誌にも技術コーナーがあった。そこを見ると「2年間はボールから目を離すな」というようなことが書かれていて、この頃から日本の卓球の理想主義が定着していたことがよくわかる。これは民族性といってよいだろう。これが複雑多様な卓球には向かない考えであり、その後の数十年の停滞を招いたと私は思っている。

それにしても、いったいどこに「球から目を離そうと努力する」人がいるというのだろうか。

日本の卓球の理想主義” への 1 件のコメント

  1. とても興味深くこの記事を読みました。わたしも以前から卓球のボールを野球のバッターのようにいつまでも目を離さず見ていることは
    その後の戻りの事など考えると無理があるとおもってました。
    以前にJOTAさんお勧めのサイエンスチャンネルのアスリート解体新書でも、卓球の選手の視力は動体視力ではなく、周辺視力であり、上手な選手ほどボールから目を離す時間が速く、すぐに相手選手に視線を移動させることが実験されていました。
    そのように、科学技術で証明されているにもかかわらず、浮いたチャンスボールをわたしの技量不足から空振りしたりすると、ちゃんとボールをみていないからだと言われ、わたしの周りは昭和22年のままなんだなーとおかしいですが、やはり悔しいので強くなりたいです。

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