無事に全日本での仕事も終わり、自宅に帰ってきた。全日本では思わぬ出会いがあった。二日目の夜に、今野編集長の知人でフランスのナショナルコーチであるミッシェル・ブロンデルと夕食を供にしたのだ。その焼肉屋に私だけちょっと遅れて行ったのだが、初対面のミッシェルはなんだか笑いっぱなしでロレツが回らないような話し方なので「それは酔っているのかもともとなのか」と聞くと(失礼なことを聞いたものだ)「酔ってない、もともとだ」と言う。さすがにコーチをするときはこうではないらしいがプライベートではいつもこうなのだという。
今野さんとどういう関係なのか聞くと、ミッシェルは荻村伊智朗にあこがれて80年代に青卓会にコーチングの勉強をしに来日し、今野さんとは荻村に誉められたりいじめられたりの苦楽を供にした仲であり、今野さんを実の兄のように思っていると語った。卓球王国の誌面ではフランスのコーチとしていたって冷静に紹介をされているが、完全に「一味」「その筋の者」なのであった。
ミッシェルは荻村が亡くなる直前、パリを訪れた荻村とジャズバーで朝の5時まで語らい、荻村が話しっぱなしでジャズを聴くヒマもなかったという、感激のしどころがよくわからないがしかし魅力的な想い出を語ってくれた。そこから音楽の話になり、わかったことは、ミッシェルはパンクロックの大ファンで、中でもクラッシュの大ファンであるということだ。私もクラッシュの大ファンなので一気に盛り上がり、焼肉屋なのに二人でLondon’s Burnningを歌うに至った。歳が私より二つ下の47歳だということも音楽の好みが近い原因だろう。可笑しかったのは、ミッシェルは「荻村はパンクだ」と言ったことだ。「荻村はパンクなんか嫌いだったはずだ」と言うと、精神がパンクなのだと言う。荻村が1954年にロンドンでイギリス人のイジメを受けながらそれを跳ね返して優勝したことをまるで「卓球・勉強・卓球」を読んだように詳しく知っていて、それがパンクだと言うのだ。なるほどと思って話を聞いていると、水谷もパンク、丹羽もパンク、今野さんもパンクだと言うではないか。どうやらこの人、自分が好きなものはすべてパンクであることにしているようなのだ。ミッシェルは80年代に相撲を題材としたドキュメンタリー映像作品を作っており、テレビで放映されたことがあるという。「相撲もパンクだ」と言うので、どこがパンクなのか聞くと、出羽海部屋を5週間取材したときに、常の山という力士が、日中激しい稽古をした後、毎晩のように酒を飲み歩き、ろくに寝ないで毎朝4時から稽古をするのだそうで「これこそがパンクだ」という。そういうことか・・・。映画監督の小津安二郎もヴィム・ヴェンダースもパンクだと言うのだから完全にメチャクチャである。注文をしたワインがグラスにちょっとしか入っていなかったので下手な日本語で「ちょっとこれ少ないんでしょうー」といちゃもんをつけたのも当然パンクなのだろうやっぱり。
ともかく、卓球界でこれほどパンクが好きな人に出会ったことは、高校時代のチームメート以外には記憶にないのでとても嬉しかった。今から世界選手権パリ大会が楽しみだ。卓球そっちのけでパンク話で盛り上がりそうである。