年別アーカイブ: 2013

DVD『ザ・ファイナル』完成

今日発売の卓球王国に宣伝が載っているが、全日本選手権のダイジェストDVD『ザ・ファイナル』がやっと完成を迎えた。実は全日本選手権での撮影以来、ずーっとその編集にとりかかっていたために、ブログを書く余裕が無かったのだ。まだ若干の手直しが残っているが基本的には満足のいくものに仕上がっていると思う。卓球の試合を題材としたエンターテイメントとしてはアメリカのリフレックススポーツのものがあるが、日本でこういうものが作られたのは今回が初めてだ。

この作品がどれくらい市場で受け入れられるかは未知数だが、最高のプレーを最高の画質で後世に残すことができたことだけは確かであり、その点では昨年までの選手たちは不運としかいいようがない。どんなに素晴らしいプレーをしても、1回限りのその映像は撮影をしていなければどこにも残っていないのだ。

ここに至るまでの経緯やら苦労話はあるのだが、まあそれはある程度売れてから書こうと思う。

自衛隊マニア

弟のかつての職場に自衛隊マニアがいて、本人は自衛隊員でもないのに普段からそれらしい言葉を使うのだという。飲み会の幹事をやったときも「本日の開始時間は17時マルマル分」などと言うらしい。なんとも素晴らしいマニアがいたものだ。

そういうマニアにとってこの商品などは垂涎ものではないだろうか。それにしても、起床ラッパはそのとおりだからギリギリよいとして、武装ヘリの音で起こされるってどうなのだろうか。

困った自転車

先日の夜、最寄の駅から自転車を走らせていたら急にサドルがガクッと外れ、あやうく支柱の鉄棒で尻を破損するところだった。電灯で照らしてみると、なんと支柱のサドルとつなぐ部分が割れている。

それ以来、直すのが面倒だったので放っておいたのだが、今日、久しぶりに飲み会があるため、タクシー代をケチろうと昨日慌てて自転車屋に行って支柱とサドルを買ってきた。今まで使っていたサドルは硬くて痛かったので、この機会にと奇妙な形の「柔らかい」という売り込みのヤツを買った。支柱を買うにあたっては、直径を定規で測ったところおおよそ2.6cmぐらいだったので、店に行って2.54cmと書いてあるのを買ったのは当然のことだった。ところが家に帰って自転車につけてみるとスポスポとゆるくて全然固定できないではないか。1mmも違わない別の直径の支柱があるなどといったい誰が思うだろうか。後でネットで調べてみるると、自転車のサドルの支柱には統一規格が無くて0.2mm単位でさまざまなものが入り乱れているのだそうだ。これで他社のものを買わせない戦略だろう。

仕方がないので支柱にガムテープを巻いて太くして固定をして会社に向かって漕ぎ出したのだが、漕いでいる途中でガムテープが滑って支柱がスポッと一番下までさがり、異常にサドルを下げたまま漕いで大変疲れたのであった。しかもゆるいのでサドルが回転する。自分で買ったとはいえ、奇妙な形のサドルとあいまってなんとも腹立たしい自転車である。

強制的縁起

強制的に縁起をかつぐものらしい。受験生にお勧めのようだが、こんなものを本気にするようではどこも受からないことは確実だろう。茶柱なんぞ気にかけるヒマがあったら勉強することだ。

和式便所アダプター

例によって新幹線のカタログを紹介する。

和式トイレを簡単に洋式トイレに変えるアダプターだということだが、水を流すときのレバーの操作はいったいどう説明するつもりなのだろうか。いわんや落下物のハネをや。どんな事態になるのか想像するだけで恐ろしい。

恐怖のエレベーター

一昨年の大震災以後、私の職場のエレベーターが奇妙な動きを見せる。オフィスは5階建ての建物なのだが、誰も操作をしていないのにエレベーターが突如動き出すことがあるのだ。2階で仕事をしていると、エレベーターが動く音がして扉が開く。しかし誰も乗っていない。誰も乗っていないし、2階で呼んだ者もいない。なぜなら2階には自分以外には誰もいないからだ。一体誰がエレベーターを呼んだというのか。あるいは誰がこのエレベーターから降りてきたというのか。このようなことが深夜に残業をしているときにあると、さすがの豪傑も肝を潰すだろう。

実はこの話にはオチがある。震災のときに1階にあったエレベーターが津波で水浸しになって使いものにならなくなったので、それ以来、一定時間を過ぎると自動的に2階で待機するように設定をしてあったのだ。それにしても到着時に扉を開く必要はないと思うのだが。

平野が多すぎる

卓球界には平野という選手が多すぎないだろうか。平野早矢香は言うに及ばず、平野容子、平野美宇と女子の有名選手だけで3人もいる(他にはいないかもしれないが)。人口に占める平野という名字の割合からしてこれは自然なことなのだろうか。それだけではない。全日本のときにお世話になった千駄ヶ谷の親戚も平野、大学の卓球部の先輩も平野、職場の同僚も平野なのだ。

すまん、それだけだ。

大根おろし器

大根おろし器だそうだ。

「受け皿をそのまま器として使える」そうだが、箸置きを使うようなかしこまった状況で、はたしてこの器は「使える」と言って良いのだろうか。

これで使えるのなら、ご飯釜だろうが鍋だろうがそもそも使えないものはないような気がするのだが。

1952年のカルカッタ

お世話になった親戚の家では、叔父さんの昔話を聞かせていただいた。私は年配の方の昔話は、あまりにも愚劣な自慢話でないかぎり、聞くのが好きなのだ。

戦後間もない、昭和27年(1952年)、仕事でインドのカルカッタに1年半駐在をしたときの話が面白かった。当時叔父さんは二十歳ちょっとだったが、蛍光灯の電球にアルゴンガスを封入する技術を教えに行ったのだという。叔父さんにそんな技術があったとは知らなかったが、外国に行きたさにどこかの会社に2ヶ月ぐらい通って即席で覚えて、さも専門家のような顔をして行ったという。

カルカッタまでは船で、途中、香港だかシンガポールだかを経由して21日もかかった。当時のインドは冷房がなくて(今もかもしれないが)、とにかく夏は暑くて午前10時を過ぎると気温が42℃を越え、目を開けていられなくなるので、ホテルの部屋を閉め切って(開けると外気が入ってきてかえって暑いからだ)、4時くらいまで寝る毎日だった。もうひとつ困ったのは、カルカッタには歯医者がなかったこと。なぜかといえば当時のインド人には虫歯がなかったためだという。このあたりの真偽は私にはわからないがありそうな話ではある。

あるとき、バスに乗って外を眺めていたら近くの男が「俺の嫁をジロジロ見るな」といちゃもんをつけてきたという。「景色を見ていただけだ」と言っても男の剣幕は変わらなかったが、自分が日本人であることを言うと、男の態度は急変し、バスの中の乗客全員が握手を求めてきたという。その後、ホテルの部屋に帰ってからも他のインド人たちがホテルの前に大勢集まって呼び出され、みんなに触られたという。とにかく日本人だというだけで大変な人気だったという。仕事仲間のインド人に理由を聞くと「それは当然だ。日本人は長い間インドを植民地にしてきたイギリスの船に爆弾を落とした唯一のアジア人だからインドではみんな日本人を尊敬しているんだ」と言ったという。そんなような話は本で読んだこともあるが、その逆に憎まれていたという話もありよくわからなかったが、政治的偏向のない当事者から聞く話には格別の真実味がある。

カルカッタでは結婚披露宴が盛大に行われていくつも出席したが、一点不愉快なことがあったという。それは、お嫁さんが嫁ぐ家に持っていく金の腕輪などの装飾品について、夫から「足りない」と不満を言われて泣いているのを良く見たのだという。今でもインドでは男尊女卑が国際的に批判されることがあるが、当時はもっと激しかったのだろう。

ところで気の利く卓球ファンなら1952年のインドといえばボンベイ大会で優勝した佐藤博治のことを思い出すだろうが、さすがに卓球に興味のない叔父さんはそのことは知らなかった。

忘れたカーディガン

全日本では、千駄ヶ谷にある親戚の叔父さん叔母さんの家に3泊ともお世話になったのだが、そこでちょっとした面白いことがあった。初日は今野さんたちと夕食をしてから11時頃に親戚の家に着き、その夜はちょっと話して寝たのだが、翌朝、試合会場に行こうというときになって、家から着てきたはずの黒いカーディガンがないことに気がついた。前夜に食事をした新宿の『かに道楽』に忘れたに違いないと思ったが、取りに行く時間がない。仕方がないので、最終日の試合が終わった後で取りに行くことにした。

そしていよいよ明日が最終日という日の夜、叔父さん、叔母さんと夕飯を食べているときに、叔父さんが言った。「ママ、この服、どうもいつも着ているのと違うけどボク、こんなの持ってたっけ?」見ると、叔父さんが着ているのはまさに私の黒いカーディガンではないか。初日の夜に居間で脱いでそのままにしていたのを叔母さんがカゴに片付けたのだ。叔父さんは黒いカーディガンを2着持っているのだが、その日は3着あり、大昔に買った物がどこからか出てきたぐらいに思っていたのだという。3着のうち、たまたま私のカーディガンを手に取り、それを私の前で着てくれたために真実が発覚したのであった。

この偶然がなければ、おそらくそのカーディガンが私の元に戻ってくることはなく、捨てられるか関係者がこの世からいなくなるまでどこかにしまわれ続けただろう。神様も粋なことをしてくれたものだ(大げさだが)。

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