手のひらの感覚で卓球ができるラケットだそうな。
やけに念入りな動画もあるが http://aplusrstore.com/product.php?id=454&cid=215
多分ルール違反だな。
昨年末に、中学で卓球部の顧問をしている青山さんと酒を飲んだとき、面白い話を聞いた。
卓球部に入っていなかった生徒で大倉くんというのがいたのだが、その大倉くんのお父さんが卓球が上手だという話が耳に入ったという。だいたいそんな噂は大げさな話で、実態はちょっと卓球が上手な素人か、良くて中学校のとき卓球部にいたという程度の話に相場が決まっている。
ところが後で知ったところによると、この「大倉くんのお父さん」というのは、1983年東京大会で男子ダブルスで世界3位になり、現役引退後は東北福祉大学に留学生としてやってきてろくに練習もせずに全日本学生選手権を4連覇した、楊玉華だったのだという。「卓球が上手い」どころの話ではない。ひっそりと日本に帰化していたのだ。
父兄参観か何かのときに楊さんが卓球部を覗きに来たことがあったそうで「たまたま部活をやっていなくて本当によかった」と青山さんは胸をなでおろしていた。さすがに楊さんの前で部活をする気にはならんわなあ。
それにしても楊玉華、「大倉くんのお父さん」とはまた上手く化けたものだ。そうとも知らずに試合を挑んだり、あろうことか卓球を指導したりする愚か者が出てこないうちに正体を明かしたほうがよいのではないだろうか(東北福祉大卓球部の監督をやっているので、別に隠れているわけではなく私が知らなかっただけなのだが)。
なんと、元日本代表の協和発酵キリンの木方慎之介選手が、現在、仙台の営業所に勤務しているという。卓球はやっていないようだが、木方なら3年くらいやっていなくても宮城県で負ける相手はいないのではないだろうか。このような逸材に卓球をやらせないでおくのはなんとももったいない。
関東には元一流選手はゴロゴロしていると思うが、宮城県となると、そういう人はあまりいないのだ。同じような例では、東北福祉大学に勤務している、楊玉華(元世界複3位)がいる。もちろん卓球はしていないが、この二人に模範試合としてむりやり卓球をさせてみたらどうなるだろうか。
練習不足のためお互いにミスをしては苦笑いをする光景が目に浮かぶが、すかさず私が近寄って胸倉をつかみ「真面目にやれコラ」と凄んでみるのはどうだろう。そういう面白映像を妄想し、ひとり爆笑した仕事中であった。
4月から高校3年生になる双子の長男と次男は、部活も止めて勉強もせずゲームばかりしている。まったく苦々しい限りだが、私が高校生のとき、マンガと卓球に明け暮れていたのと同じことなのだろう。かつては映画も小説も頭がおかしくなると大人たちに嘆かわれたのだ。ゲームは非生産的だと言う人もいそうだが、小説や映画はそれこそただ見ているだけなのだからまだゲームの方が能動的なだけマシである。と、頭ではわかっているものの、やはり息子たちがゲームばかりしているのを見ると嫌な気持ちになるのを抑えられない。
このようにいつも私は息子たちに表面上は理解を示しつつ内心、がっかりしているのだが、先日、嬉しいことがあった。息子たちは、オンラインでどこかの人たちとチームを組んでゲームをしているらしいのだが、長男は「マスター」という地位を与えられて17人のチームを率いているという。マスターにはメンバーに認められる統率力が必要であり、メンバーから「スタッフ」を任命したりマスターだけが設定できる種々の権限が与えられているという。メンバーが他のチームと揉め事を起こしたりすると「うちの者が迷惑をおかけしました」と謝りにも行くのもマスターの役目だという(もちろんゲームの中での話だ)。
メンバーには30歳近い社会人もいるという。どんな愚劣な集団であっても、リーダーになるということはたいしたものである。常に浅はかで下らんことしか言わない我が長男にそんな能力があるとは思いもしなかったから、一筋の光を見たような気がした。
もっとも、チームのメンバーがどんなやつらか聞くと、すぐにルールを無視してキレまくって他のチームとトラブルを起こすくせに「スタッフにしてほしい」と直訴して来るような、まったくどうしようもないやつらばかりだという。長男がそう言うくらいだから本当にひどいのだろう。ちなみに次男も同じチームに所属していて「スタッフ」だそうだ。
なにがスタッフなんだか(笑)。いったいどれだけレベルの低いチームなのだろうか。
Oさんは音楽が好きで学生時代から切れ目なくバンド活動を続けているという。担当はギターだ。好きなジャンルはなんといってもブリティッシュ・ヘビイ・メタルだそうだ。そう言って彼はソニーのウォークマンを出して見せてくれた。ディスプレイにはアイアン・メイデンのアルバムジャケットが表示されていた。Oさんによれば、アイアン・メイデンはヘビイ・メタルを発明した人たちで、どれだけ偉大かわからないという。単調な2音だけのベースに速いドラムに情緒的なギターとボーカル、これらを発明したところが偉いのだという。「いろいろと軽い音楽も聴いたけど、最後はやっぱりアイアンメイデンに帰ってきますね」とOさんは語る。
アイアン・メイデンはなんと今も現役で、最近、そのライブ映像を見てOさんは泣いたという。ヘビイ・メタルを聴いて泣く人がいるとは知らなかった。
Oさんのウォークマンには他のアーティストのアルバムも入っていて、そのディスプレイにはレッドツェッペリン、ディープパープル、イエス、キングクリムゾン、TOTO、オジーオズボーンなどのアルバムジャケットが次々と表示された。うむむ、私の趣味と根本的に違うが、一部カスるところがあるのが楽しい。
実はOさんは、昨年の夏、十数年組んできたバンドを解散したのだという。その原因は、人間関係だという。あるコンサートのとき、ベースの担当が間違えて別の曲のフレーズを弾いてしまったのだという。ところが芸大出身のセミプロのピアノ担当がそれを許せず、フェイスブックでしつこく批判をしたという。ベースは「もともとあんな曲はやりたくなかった」といえば他のメンバーが「それとこれとは別だろう」となり、Oさんがなだめるも効果がなく、解散を決意したという。「フェイスブックはやっちゃいかんですね」とOさんは語る。
人間模様である。失礼ながら、他人のモメごとを聞くのは面白い。
昨日、一昨日と仕事で山口県のお客さんを回ってきた。同行した営業のOさんと道中いろいろと話して面白かった。
Oさんは大阪出身だが、東京にも何年か住んでいて今は大阪に戻っている人だ。先日テレビで見たところによると、大阪の人は東京に行った人がちょっとでも東京風になると「魂を売った」と非難されるという。本当にそうなのかOさんに聞くと、そうだという。それをきっかけとしてOさんは痛烈な大阪批判をし始めた。大阪を離れると大阪人の悪いところが良くわかるという。私は大阪人は明るくてカラっとしているような気がしたがそうではなく、意地汚くねちっこくひがみっぽいのだという。「豊臣秀吉が負けて以来、大阪人はひがみっぽくなった」のだとOさんは語る。そんなに古い話が現代の人間の気質に関係があるのだろうか。一方、京都の人は「一時的に都を東京にあずけているだけ」という余裕があって、大阪人とは違うという。なんとも壮大な話である。
Oさんが大阪人の嫌なところの一例として、車を運転するときに他の車になかなか道を譲らないし、車間距離を空けずにべったりくっついてくるという話をした。チンピラでもなくオバさんでも若い女性でもまるで「そうしなければならない」とでもいうふうだそうだ。そんなときOさんは「お先にどうぞ」と追い抜かさせてあげて、後からハイビームで追いかけて意地悪をしてやるのだそうだ。Oさんも自身に流れる大阪人の血をいかんともしがたいのだという。
Oさんは「姫路とか城下町出身の人にはややこしいことを言うお客さんが多い」という。プライドが高いからではないかと言っていた。これらの話の真偽は私には知るよしもないが、話としてはとても面白く、笑い通しであり、それこそがOさんが大阪人たる所以ではないかと思ったのだった。
何週間か前、職場の後輩と駅に向かって歩いていたら、後輩が電車に乗り遅れまいと急ごうと言い出した。私は次の電車でも問題ないので「急ぐつもりは無い」と言うとその後輩は「さすがです。そのブレないところが凄いです」と感心している。ブレるもブレないも、用事もないのに走りたくないだけのことなのだが、それから何週間かしてからその後輩が思い悩んだ様子でそのときのことを語り出した。
彼は電車どころか信号機のパターンさえ気にして道路の横断の仕方まで計画を立てるという。もちろん天気予報も気にする。ありとあらゆることに左右され、仕事でも他人の意見が気になって信念がぶれてぶれてどうしようもないという。そんなとき、目の前で電車が行こうとしているのに電車に合わせずに堂々としている私が凄いと尊敬をしたというのだ。
そう言われれば私は天気予報はほとんど見ないし、予定がないときは電車時間も見ない。ガソリンの値段も菓子の値段も見ない。どっちみちたいした差はないからだ。これはブレないというよりは、単に横着なだけである。大学受験のときに東京の私大を受けようと、前日、親戚の家に泊まったはいいが、当日の朝に会場を調べたら遠くて間に合わなかったので受験を止めたのだった。東京まで来たのだからすぐに行けると思い、受験会場がどこにあるのか一度も見ていなかったのだ。
こういうわけだから、ブレるもブレないもお話にならないのだが、その後輩は私と自分を比較して「俺はダメだ」と落ち込んでいた。そんなことを考えるということこそがまさにブレるということだと思うがどうなんだろうか。
テニスと比較して卓球の特異性を考えてみると、それはテンポが速いことによる戻りの重要性だ。映画『ピンポン』ではCGでボールを動かしていたが、そのあまりの遅さにがっかりしたものだった。役者たちの演技に合わせてボールを作ると、ありえないくらいボールが遅くなるのだ。なぜなら、役者たちの打球と打球の間隔が長いからだ。役者たちは実際にはボールなしで「エア卓球」をやっているにすぎない。にもかかわらず実際の卓球ほどのピッチではラケットを振れないのだ。あるいはボールが速すぎると観客に理解できず、映画として成り立たないので監督がそのようなピッチを指示したのかもしれない。いずれにしても、卓球のラリーはそれほど速い。
それほど速いと問題になるのは、打球後の戻りだ。全身を使ってボールを打っても、その直後にはニュートラルの姿勢に戻っていなくてはならない。卓球はボールが軽いしコートも狭いので、基本的に、どんなボールを打っても常に返される危険があるからだ。返せないボールはないのだ。だから卓球選手は、ダブルスでもないかぎり、打ってそのまま姿勢を崩すことはない。卓球をしていると当たり前のことだが、これが初心者には難しいことが教えているとよくわかる。
荻村伊智朗の著書『卓球クリニック』では、戻りについて次のように書かれている。
「よいボールを打って一発で抜こうという意識と、もしそれが返ってきたらすぐそれに対応しようという意識を切りかえながら合わせもっていくということが大切です。打つときには返ってくるということは考えてはいけません。打ち終ったらただちに返ってくるということを考えなくてはいけません」
荻村伊智朗はこんなことでもいちいちひっかかるフレーズをちりばめるのだ。そしてそれが、まるで撒き餌のように私のような者を惹きつけて止まない。
下の写真は、その本に載っている劉南奎のフォアハンドドライブだ。私の見立てでは卓球史上最速のドライブは間違いなく劉南奎によって放たれたはずだ。こういうドライブを打った場合でもワルドナーやアペルグレンに当たり前のように返されるのだからたまらない。卓球は恐ろしい。
いつだったか、ニュースでテニスの錦織が大会で優勝したことが報じられていた。それで、主なラリーが紹介されていたのだが、『ザ・ファイナル』を何十時間も見慣れた目で見ると、あまりにもボールが遅く、なんと迫力に欠けるスポーツなのだろうかと思ってしまった。もちろんボールの速度はラケットが長い分だけテニスの方がずっと速いのだが、画面で見るとなんともトロい。卓球の試合で感じられるお互いに斬り合うような凄みがない。
かつては、卓球の方がちまちましていて全然迫力がないと思っていたが、それは撮影の仕方が悪いからだったのだ。ちゃんと撮影をすれば卓球はものすごいスポーツなのだ。『ザ・ファイナル』のサンプル映像の水谷-森薗のラリーを見よ。
卓球以外のスポーツができないような生徒ばかり卓球部に入るという現実はあるが、それも素晴らしいことだ。運動音痴でもチビでもデブでもヤセでも年寄りでもできて生きがいにさえできる、これほど素晴らしいことがあろうか。そしてその同じスポーツが、トップクラスにおいては地上最速の球技と化すのだ。考えてみればこれは完璧なスポーツではないか。なんという幸せ。