方言というものは、自分が方言を話している自覚があって話すのなら別に恥ずかしくないが、標準語を話しているつもりで実は訛っていたというのは恥ずかしい。
私は幼少より東北弁と標準語の違いについてはかなり自覚的であり、話せないまでも何が標準語なのかは完璧にわかっているつもりだった。ところが、大学を卒業してから関東の人から指摘されて初めてそれが標準語ではないことを知った衝撃的な東北弁がある。
それは標準語で「○○しなきゃなんない」を意味する東北弁「○○しなきゃない」だ。標準語における「なん」が抜け落ちているのだ。同様に「行かなきゃない」「言わなきゃない」などと言う。
これはもともとは堅い言い方をすれば「しなければ成らない」だ。このうちの肝心な「成ら」を省略して「しなければない」としてしまったのが先の東北弁なのだ。だから標準語圏の人が「しなきゃない」と聞くと「いったい何が無いの?」という一瞬の戸惑いを覚えるという。ただ、ほとんどの場合は文脈から意味が分かるので聞き返したり指摘したりはしないので、これを使っている人は自分がニセ標準語を使っていることに気づくことはない。また、ニセ標準語を使っていると自覚している人もいない。なぜそう言い切れるのか。それは「しなきゃない」という言い方がそもそも本気の東北弁ではなく、標準語を使ったつもりの「自覚なき東北弁」であるからだ。
本気の東北弁では「しなければ」は「しねば」あるいは「しねげ」となるのであり「しなきゃ」自体が標準語というか東京弁というか、ともかく関東の言葉を使っているつもりの言葉なのだ。ゆえに「しなきゃ」と言う人は当然標準語を使っているつもりなのである。
その証拠に、仕事の会議など、オフィシャルな場でも「しなきゃない」以外はすべて標準語を使う人の口からこれが連発されるのだ。それほどこれは、標準語を使いたい東北人にとって最大の盲点となっている。
ちなみになぜこの言い方が定着したのかと言えば、本気の東北弁が「しねばねえ」「しねげねえ」と「成ら」を省略した形で定着した後で、これを標準語に変換したためだと思われる。和製英語を本当の英語だと思い、正しい発音で使うようなものである。
標準語を使いたいと願っている東北人の参考になれば幸いである。
いつも楽しく拝読しています。
横浜生まれ、幼稚園から4年、仙台に住んで
横浜に戻った者です。
「しなきゃない」・・・懐かしいです。
東北弁習得に苦労したものの中途半端で
「しなきゃないじゃん」等と口にしては
仙台でも横浜でも笑われる結果になってしまいました。
仙台では「んだ」の多用に驚かされました。
その敬語形がとうとうわからぬまま今日に至るのですが
せっかくの「東北留学」を少しでも生かすべく
ネイティブの条太さんのお教えを請えましたら幸いですm(_ _)m。
「んだ」の丁寧語は「んです」「んでがす」です。
これは標準語の「そうです」「そうでございます」に対応します。
当然、子供は使わないのでelefantoさんは習得する機会がなかったのでしょうね。
ご回答ありがとうございます!
「んです」「んでがす」…
確かに存じませんでした。
大人になった今、東北訪問の機会がありましたら
恐る恐るながら(苦笑
使ってみようと思いますm(_ _)m☆
確かに しなきゃない が自覚なき東北弁だというのは正確な分析ですね。「和製英語を本当の英語だと思い、正しい発音で使う」で思い出しましたが team をチーム、と明確にアメリカ人に話していた彼は元気にしているのでしようかね。
その「彼」は二人いましたねえ。二人とも消息はようとして知れません。知ろうとしないだけですが。
もっとも「チーム」の場合は「カタカナ英語を正しい発音だと思い込みそのままアメリカ人に使い通す」ですが。
最近、「しなきゃない」でなまっているとイジられ続けていました。
この記事で納得です。ありがとうございます。
東京と岩手南部を往復する人生ですが、かれこれ30年弱、
自覚無き方言を使い続けていたのですね・・・
他にもあるか考えてみます。
お役に立てて幸いです。東北弁については2013年6月9日あたりにも書いていますので、よかったらご覧下さい。
それはしなければだよね の 「だよ」を省略すると しなきゃね と 同意を求める軽い言い方で通用します。
これを方言で言うと、しなきゃのお、しなきゃのし(「坊ちゃん」笑)、しなきゃずら、しなきゃだぎゃ、しなきゃなあ→しなきゃな-→しなきゃない などとなります。「ね」の変化とも言え、必ずしも思いこみ標準語とは言えないかも知れない。
「しなきゃない」は使っている本人たちが標準語だと思っています。指摘すると「これは標準語だ」「自分は訛ってない」と抵抗しますので。なので思い込み標準語なのです。