画力の限界

『ヤングマシン』のイラストについて友人と口論になったときのことを補足しておく。

そのとき私が言ったのは「いくら写真のように描けても、それで飯が食えるのはごくわずかだ。技術だけではなくて、何を書きたいかとか、何を表現したいかとかそういう特別なものがなかったらダメ。現に私はこの程度の絵なら描くことはできるが、他に何もないので全然どうにもならない」ということだ。卓球に例えれば、綺麗なフォームでフォアロングが200本続けられて素人からはすごいすごいと言われるけど、大会ではさっぱり勝てないということだろうか。

絵についてそのような考えに至ったのは、中学校のときにテレビで見た『やまねずみロッキーチャック』というアニメだった。その背景があまりにも見事だったのだ。普通ならそこで感激して「俺もやろう」となるのだろうが、私の場合は違った。自分が美術の時間に何日もかけて描いている絵より数段見事な絵が、たった数秒のアニメの背景に使われていることにショックを受けたのだ。「ダメだこりゃ。こんな人たちがいるのに絵なんかやったってまったく見込みがないじゃないか」と思ったというわけだ。

まあ今にして思えば、このアニメの背景を描いた人たちはやっぱりそれなりの天才たちだったのだろうが、当時の私はそうは思えなかったのだ。

画力の限界” への 1 件のコメント

  1. ピカソは写真のようなデッサンが簡単に描けたようだ。しかし、ゴッホなんかはああいう描きかたしか出来なかったはずだ。写真のような絵が描ける必要はないのではなかろうか?ムンクの「叫び」なんかは、決して上手い絵とは思えないが、その凄さ、インパクトは、世界チャンピオン・クラスだと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です