逆足の悲劇 2015年9月17日未分類 またまた大友君の話だ。 大友くんは中学校のときはカットマンだったが、好きな選手はガシアンだった。卓球王国でガシアンの逆足のフォアハンドを見た大友くんは、カットマンだからちょうど良いとばかり、カットをしたまま常に逆足で思いっきり上体を捻って攻撃を繰り返し、入らなかったのはもちろんのこと、すっかり背筋を痛めたという。 その後、クレアンガ、カラカセビッチと大友くんのアイドルは変わり、今も背中が痛いという。カラカセビッチはともかく、クレアンガじゃなあ・・・。 中途半端な知識が生んだ悲劇である。
私はカラカセビッチのお父さんのフォアハンドグリップをして先輩に半日、正座させられました。昔は個性的な選手が多く、同級生と形態模写して遊んでました。今でも昔の選手の真似は出来ますが、逆足攻撃は無理です。 返信
横からすみませんが質問です。 アレクサンダー・カラカセビッチ選手のお父さんとは↓の動画の選手のことなんでしょうか? http://youtu.be/7ssLxMytyAs ミリヴォイ・カラカセビッチ選手という方らしいですね。 返信
カラカセビッチは、長身で中国式のペンホルダーでしたが、裏側の指三本ガバッと拡げた、シロウトの小学生みたいなグリップでした。バックハンドが出来ないはずなんだが、たぶんバックのときはグリップを移動させていたのだと思います!ジュイックと契約してたはず。私も好きで、彼の使用するというスピンスピールをフォア面に貼ってました。粒形状がテナジー25みたいで、かつ強粘着ラバーでした。そういうラバーを使用してたのでカットマンだと思われた可能性もあります。
私は「わんぱくラッコ」というふざけたチーム名をつけて、コカ・コーラの三浦さんと、C&Cの山内さんが監督を努めていた、東北学院大のチームを破り、東北学院大の卓球部の学生を二時間正座させてしまったことがある。まだ、あの頃は、科学的に卓球が考えられてない時代であった。 返信
あのとき、県外でインターハイ県予選3位だったという左利きのペンドラと対戦したが、「カットマンに遊ばれて負けたぁ~」と頭を抱えていたのが忘れられない!しかし、私はカットマンじゃなかったのだが。しかし、フォア打ちのフォームがカットマンにしか見えないらしい。 返信
オールドファン+記録マニアのKOです. 逆足というとバーグマンが田中利明戦でフォアに来たボールを右足前のまま腕だけ回して 背中の後ろでカットした話を思い出してしまう. 今活躍のカラカセビッチは1970年代に活躍したカラカセビッチ(当時ユーゴスラビア)の子息です. ドイツ語のWikipediaのカラカセビッチのページにもそういう記述があります. カラカセビッチ父は右ペン表ソフト. 1971年東京大会団体準決勝リーグで日本がユーゴに5-4で勝ったときのラストで河野満と対戦しました. 当時の卓球レポートに負けてラケットを投げあげるカラカセビッチの写真が載っていた記憶があります. カラカセビッチ父のプレーは生で見たことはないと思います. カリニッチはもっと後のユーゴの選手で左ペン裏ソフトショート型. 1983年東京大会でシュルベックと組んで優勝しています. カリニッチのプレーは生で見ました. 返信
私はカラカセビッチのお父さんのフォアハンドグリップをして先輩に半日、正座させられました。昔は個性的な選手が多く、同級生と形態模写して遊んでました。今でも昔の選手の真似は出来ますが、逆足攻撃は無理です。
好きですね日本の卓球人は正座が。私もさせられましたが。正座して勝てるなら坊さんが世界チャンピオンですね。特にラマ僧が(知らんけど)。
横からすみませんが質問です。
アレクサンダー・カラカセビッチ選手のお父さんとは↓の動画の選手のことなんでしょうか?
http://youtu.be/7ssLxMytyAs
ミリヴォイ・カラカセビッチ選手という方らしいですね。
実は私もそのカラカセビッチの顔は知らないのです。ただ、1970年代に活躍したカラカセビッチという名前の選手は一人しかいないと思うので、そうだと思います。お父さんか親戚なのかも私はわかりません。
カラカセビッチは、長身で中国式のペンホルダーでしたが、裏側の指三本ガバッと拡げた、シロウトの小学生みたいなグリップでした。バックハンドが出来ないはずなんだが、たぶんバックのときはグリップを移動させていたのだと思います!ジュイックと契約してたはず。私も好きで、彼の使用するというスピンスピールをフォア面に貼ってました。粒形状がテナジー25みたいで、かつ強粘着ラバーでした。そういうラバーを使用してたのでカットマンだと思われた可能性もあります。
ジュイックのスピンスピールの売り文句は、カラカセビッチのような強烈な横回転ドライブを可能にするラバー!ということでした。私もトップスピンがかけられなかったのである。
あ、今気づいたが、カラカセビッチなのかカリニッチなのかわからなくなった。
カラカセビッチとゾラン・カリニッチを完全に取り違えるチョンボを犯してしまいました。慚愧の念に絶えません
慎んでお詫び申し上げます
私は「わんぱくラッコ」というふざけたチーム名をつけて、コカ・コーラの三浦さんと、C&Cの山内さんが監督を努めていた、東北学院大のチームを破り、東北学院大の卓球部の学生を二時間正座させてしまったことがある。まだ、あの頃は、科学的に卓球が考えられてない時代であった。
ひゃー、それは嬉しいような悔しいような。
あのとき、県外でインターハイ県予選3位だったという左利きのペンドラと対戦したが、「カットマンに遊ばれて負けたぁ~」と頭を抱えていたのが忘れられない!しかし、私はカットマンじゃなかったのだが。しかし、フォア打ちのフォームがカットマンにしか見えないらしい。
面白すぎます!
オールドファン+記録マニアのKOです.
逆足というとバーグマンが田中利明戦でフォアに来たボールを右足前のまま腕だけ回して
背中の後ろでカットした話を思い出してしまう.
今活躍のカラカセビッチは1970年代に活躍したカラカセビッチ(当時ユーゴスラビア)の子息です.
ドイツ語のWikipediaのカラカセビッチのページにもそういう記述があります.
カラカセビッチ父は右ペン表ソフト.
1971年東京大会団体準決勝リーグで日本がユーゴに5-4で勝ったときのラストで河野満と対戦しました.
当時の卓球レポートに負けてラケットを投げあげるカラカセビッチの写真が載っていた記憶があります.
カラカセビッチ父のプレーは生で見たことはないと思います.
カリニッチはもっと後のユーゴの選手で左ペン裏ソフトショート型.
1983年東京大会でシュルベックと組んで優勝しています.
カリニッチのプレーは生で見ました.