指導の醍醐味

先日、指導をしている中学生の県大会が行われ、女子団体で1回戦を勝ってベスト16に入ることができた。とはいえ、その1週間前の合同練習会で0-5で負けた相手2校ともがベスト16に入っていないので、完全にまぐれだと思っている。

地区予選のときも県大会のときも、試合の前夜は堂々巡りのオーダーの思案でなかなか眠れず、寝てもオーダーのことが夢に出てきて、結局一晩中試合をしていたような状態だった。卓球王国の連載を休んでいるためか、今ほど熱心に指導をしていたことは過去になく、世間の指導者たちの苦悩と醍醐味の一端を味わったような気になっている。

それだけ考え、試合前には自分が出るわけでもないのに緊張して便意をもよおすほどだったにもかかわらず、オーダーは外れたし、勝つはずのない選手が相手のエースに勝ち、それも私のアドバイスのことごとく反対のことをして(その打ち方じゃ入らないから攻撃するなと言うのに!)入って勝ったのだから、いったい私の指導は役に立っているのだろうかと、嬉しいながらも釈然としない気持ちであった。

大橋先生も「言うことを聞かない奴に限って本番で勝つんです」と言っていたから世の中はそういうものなのだろう。これだけで逆も~ションを1本書けそうである。

それにしても中学生を率いて偉そうな顔をして団体戦のベンチに入るというのは格別である。オーダーを発表するときの生徒たちの緊張した面持ち、負けて泣き、声を張り上げバッドマナースレスレの応援をする生徒たち。彼女たちから信頼されてそのただ中に身を置くことができる何ともいえない幸福感を味わった。どんなにお金や地位があったとしても卓球を真面目にやってこなかったらこのポジションには立てない。資産8兆円のビル・ゲイツだって卓球の新人戦県大会のベンチには入れないのだ(形だけ入ることはできるがそれでは意味がない)。卓球ばかりしつこくやってきて本当に良かった。

そんなことをしみじみと感じた新人戦の県大会であった。

指導の醍醐味” への 5 件のコメント

    1. ありがとうございます。実は書いてからそう思っていました(笑)。

      次回の単行本のタイトル『卓球ドランカーたちの宴』の冒頭にもってこられないかなと思案中です。いろいろとこじつけて。
      『卓球天国の扉』という原稿も実は後からタイトルにこじつけたもので、最初は『ある元卓球少女の告白』という原稿でした。

  1. 思い返して、例の中学時代のチームで初めて対外試合で頭角を表したのは、中一から団体デビューしていた自分ではなく、頑固で誰の言うことも聞かずに一人だけ『入部直後から』ひたすら粒高の練習ばかりしていた『変なやつ』でした。
    顧問の先生どころか、一緒に練習していた仲間さえ誰一人強いと思っていなかった彼が、ある練習試合で突然他校のレギュラー格を倒して僕たちの代で初めて『1』の結果を団体戦につけた日の夜は大真面目に練習していた自分は嬉しいのやら悲しいのやら分からないまま止まらない涙にくれたものでした。

    『俺がどんなラバーでどんな練習をして過ごそうと勝手だろう。放っておけ』といっていた偏屈な彼の台詞が思い出されます。

    自分の卓球人生を思い返しても、自分の意思を突き通し、無法地帯の様なメンタルで卓球をしているときの方がプレーに対する後悔はしていないように思います。

    大舞台での強さが『後悔しないメンタル』に依存すると勝手に仮定すると、大橋先生の言葉は真理に限りなく近いのかもしれません。
    少なくとも、私にはそう思えました。

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