高校野球などで「高校生らしいきびきびとした試合態度」などと言われるが、それのどこが高校生らしいというのだろうか。たいていの高校生は、責任感がなくルーズで、隙あらば怠けようとし、考えることと言えば遊ぶこと、食うこと、異性のことばかりだ。
世の中に「高校生らしい」ものあるとすれば、そういうことのはずだ。本当に高校生らしく試合をさせたら、成人式の大騒ぎのようになってしまうだろう。
大人が高校野球に求めているのは高校生らしさなどではない。自分たちでさえできもしない「高校生にあるまじき理想の姿」を求めているのだ。
だから何だというわけでもないが。
自分達大人が高校生の時に高校生らしかったか思い出してほしいですね。
いつぞや試合会場で私のラケットをみた(それなりにお年を召した)ペンドラ選手の方から『若いうちからそんなラバーを使うもんじゃない』『もっと真っ向勝負の卓球をしなさい』というお説教を頂き、試合に勝ったあともわざわざ呼び止められて同じ話を聞かされましたが、一枚やら粒高が図抜けて効果的なのは中学生以下のレベルであることを考えると『若い卓球』こそ異質が多くなる傾向が強いはずではないかと思ったりする次第です。
そこそこ上の世代の年代別などでは少なからず粒高などを使う選手は存在しますが、彼らの時代にはいわゆる表速攻や粒高の全盛期がオーバーラップしているはずで当時の最先端を頑なに守り続けていると考えれば若い頃と同じものを目指すという意味で同様に卓球的には『若い』と言えるかと思います。
そもそも、裏ソフト自体が近代のラバーの中で一番後発な訳ですから、最も効率的で『大人らしい』『熟練した』卓球を目指すにつけてはシェーク裏裏以外に選択肢は無くなってくる訳で、そうではない戦型の方々に卓球の『若さ』を語られてもなぁ…と思っています。
何が言いたいのかというと、『若い卓球』『大人らしい卓球』といった水準と『新しい卓球』『古い卓球』といった水準とをごっちゃにしている人が多いなぁということでした。
長文失礼しました。
私は30年前、県大会ベスト8止まりの微妙な戦績の選手でしたが、
“高校生らしく”相手を睨み付けて威嚇する様な血の気の多いプレイヤーでした。
イージーミスえをするとラケットを床に叩き付けたりして、
これこそ”高校生らしさ”かと・・・。
しかもエリート集団に対して「髪型で卓球するのではない!!」と
襟足が肩にかかる程の長髪で、今思えば意味のない対抗意識を燃やしておりました。
子供ながらの自己主張とはこの程度(笑)