『アヒルと鴨のコインロッカー』を見直したが、本屋の若い女性店員がこれまた標準語の合間に唐突に「おら」などと訛っているのに苦笑した。いくらなんでもこんなヤツいない。どう考えてもいない。絶対にいない。
さらにこの店員、ある人物の噂をするときに、声を潜めて「ここだけの話、クスリとかやってっぺし」と言うのだ。なんとも言えない違和感だ。「っぺし」という語尾は確かにある。しかし、この場面には微妙にそぐわない。
「っぺ」という語尾は「べ」と並び、推測を表す「だろう」の意味だ。これに話に続きがあるように思わせる昨今流行の語尾「し」をつけて「っぺし」となる。したがってこの場面を翻訳すると「ここだけの話、クスリとかやってるだろうし」となる。「ここだけの話」という重要情報が推測というのはいかにもおかしい。
仮に推測でよいとしても、この翻訳「やってるだろうし」は、どこか舌足らずな感じがしないだろうか。言うなら「やってるだろうし」ではなく「やってるんだろうし」ではないだろうか。これに対応する東北弁は「やってっぺし」ではなく「やってんだべし」となる。したがって「ここだけの話、クスリとかやってんだべし」ならば、まだなんとか成立した。残念なことだ。
なお、「っぺし」という語尾には、誘い掛けの「やろう」の意味の「やっぺし」「すっぺし」もある。関東圏でも「やっぺ」「やるべ」などとして使われているものと同源で、本来は「やるべし」「するべし」だ。これらの語尾の「し」が省略されたのが「やるべ」であり、語尾が残ったまま前半が促音化されたのが「やっぺし」「すっぺし」だ。しかしこの映画では「やってっぺし」と言っており「やっているべし」という、意味が通らないつながりになっているしそもそも文脈から、誘い掛けではありえないので、違うだろう。
こういう違いは、ネイティブの東北人でも、聞いたときに違和感を覚えることはできても、その違和感の正体を分析して表現できる人は希だし、何回も口に出していると次第に自分でもよくわからなくなるものだ。だからスタッフの中にネイティブの東北人がいれば済むというものではないのだ。これが、映画で間違った東北弁が使われ続ける本当の理由だと思われる。
そいうわけで、困ったときは私に声をかけてほしいものだ。かけられるわけないが。