今月の卓球王国に追悼原稿を書いたが、偉大な卓球人が亡くなった。
久保彰太郎、86歳。
卓球マニアでさえこの名を知る人はほとんどいないだろう。私も2003年にお会いするまでまったく知らなかった。
荻村伊智朗著『卓球・勉強・卓球』の77ページに、
「夜中まで練習をして、万年浪人の久保という人を自転車に乗せて帰ると、途中で沖縄ソバにありつける」
というフレーズがあるのを後で見つけたぐらいだ。
また、1990年代に、新しいラケットのアイディアを卓球メーカー各社に送ったところ、タマスからだけ返事があり、試作品まで送られてきて「試作しましたが効果が見られないので製品化はしない判断となりました」と丁寧な手紙が添えてあった。
どこの馬の骨とも知れない私のアイディアを、無視するどころか試作までして返事をくれたタマスの姿勢に感服したものだったが、久保さんとお会いした後で、10年ほど前にいただいたその手紙のことを思い出し、引っ張り出してみたところ、差出人の欄には案の定、久保彰太郎と書いてあった。
よく映画などで「裏で世界を動かす陰の実力者」などが出てくるが、久保さんとお会いしたときに思ったことは「そんなこと、本当にあるんだ」ということだった。
久保さんは、1960年代から1990年代までのタマスの製品のほとんどの開発を手掛けた人物なのだ。世界一のシェアを持つバタフライの歴代製品を開発したということは・・・卓球が用具の影響が大きいスポーツだということを考えれば、それはある意味、現代卓球を創ったいうことだ。しかもその会社生活の後半はタマスの実質的な経営者であり、重要な事業判断を次々と下していた。
そんなとんでもない重要人物が「万年浪人」(ひどい扱いだ)としてしか本に載っていなかったのは、久保さんが徹底的に自らの存在を隠し続けてきたからだった。それは自己顕示欲、自己陶酔といったものを、それが自分の中にもあることを認めるからこそ極端に嫌悪したためだった。
晩年は、ブースター問題の解決に情熱を傾けた。
東京・吉祥寺にある久保さんの自宅で、卓球界の裏話や用具の真髄を聞く至福の時間が、もう二度とないと思うと寂しくてならない。
卓球王国で連載を始めたおかげで久保さんとお会いすることができたのだから、その幸運だけでも感謝しなくてはならないとは思うのだが、やはり失ったものの大きさを実感している。
「革命」というキーワードの記事をほめていただいたことを記憶しています。今から約20年前のことです。当時編集部は武蔵野市にあって。。あまりここに記すようなことではないのでこの辺で。兎に角ご冥福をお祈りいたします。
そうでしたか。それは何の雑誌でしょうか?
「卓球王国」で御座います。