息子たちが就職するので、最後の家族旅行としてアメリカ赴任時代に住んでいた町、アラバマ州ドーサンに行ってきた。ドーサンを離れて初めてだから8年ぶりだ。
ドーサン空港に降り立ったときの印象は、全然懐かしくなく「またか」という程度のものだった。どう考えてもついこの前来たばかりにしか思えない。この年になると8年などあっという間なのだ。
私たちが住んだ家は、その後、3家族ぐらいが入れ替わり、今も誰かが住んでいた。ドーサンには3泊し、毎日その家を見に行った。家の前に車を止めてしみじみと眺めていると、懐かしいというよりは、息子たちにつらい思いをさせてしまったなと思い感傷的になった。息子たちは、アメリカに赴任したことを「強制収容所に入れられていたようなものだった」と言っているのだ。
家を見る息子たちは多くは語らなかったが、黙々とスマホで写真や動画を撮影していたことがその感慨を示していた。
英語があまり話せないので友達もできず、移動はすべて車だったから、遊ぶといえば家族でバッティングセンターに行くなどというものだった。日本の中学生のように、友達と自転車や電車でどこかに行くという経験ができなかったのだ。
赴任中によく通ったバーガーキングにも行ってみたが、相変わらず絶望的な大きさのハンバーガーだった。味は昔通りに肉が香ばしくて美味しかった。
たったの3日でドーサンの何が味わえるだろうかとも思ったが、3年半住んでもドーサンのなんたるかはわからなかったし、考えてみれば仙台ですら33年も住んでいるのに結局自分の周りのことしかよくわからない。
こういう気持ちはないものねだりなのだろう。
条太さんの気持ちが痛いほど良く解るので、いつに無く条太さんのシリアスの文体が当然だと思いました。そうなんです、「普通の家族」にとって、海外赴任なんて苦行以外の何物でもないのです。苦も無く、英語が話せるようになってバイリンガルとして日本に帰国できる子供なんて、十人に一人くらいしかいないのです。残りの九人は、(英語がペラペラじゃないので)帰国子女だということを隠しながら人生を生きるのです。バイリンガルになった綺麗な女の子だけが女子アナになるのです。それでも、異文化に触れたり、日本にない自然に触れたりするのは、海外赴任のメリットですけどね。
(ロンドンに3年間赴任した)英国の獅子より
息子たちが辛い反面、私と妻はとても楽しんでおり、当時はそのギャップに気がつきませんでした。
気づかないというよりは、再三言われていたのに、相手にしませんでした。
それがまた可哀そうなことをしたなと思う次第です。
それでもグレもせずに普通になってくれたのが幸いでした。
懐かしいアラバマの風景です。英語もろくにしゃべれないのに、一人でハイウエイを4時間走ってドーサンまで試合に行きました。45歳のオバサン…我ながらすごい行動力だったと思います。
息子は当時10歳。周辺に日本人がいなかったので、いきなり一人で現地校に通いました。嫌がったりはしませんでしたが、かなり辛かったと思います。本人の希望でランチはおにぎりを持っていっていましたが、「うぇ~。気持ち悪い!って言われてたんだよ。」と、8年経ったつい先日話してくれました。
・・・じゃあなんでわざわざ希望したのか?と思いますが、息子の小さな意地だったのでしょう。
2年間のアラバマ生活。息子は感情抜きに淡々と振り返ることが多いように思います(苦笑)