アニストン・オープン その1

土曜に、アニストンという町に行って試合に出てきた。この大会は団体戦なのだが、メンバーは最低二人いればよくて、4シングルス1ダブルスを戦う。昨年もチャック、ウォレンと参加して18チーム中、3位だったので、今年は2位以上を狙って同じメンバーで参加した。

アニストンまでは400kmくらいあるので、金曜の午後にアニストンに移動して泊りがけでの参加だ。アニストンに行く途中で、アラバマ州最大の都市であるバーミングハムの卓球ショップに寄るのが、恒例となっている。その卓球ショップはモールの中にあり、卓球とビリヤードの専門店で、名前をBumper Netという。Bumperとはビリヤード台の部品の名前で、つまり卓球とビリヤードの部品から単語を一個づつとって店名にしているわけだ。店内には卓球台が3台おいてあり、毎週金曜の夜に卓球大会を開いているので、それに参加して肩慣らしをするというわけだ。こんなに卓球人口が少ないアメリカで、バタフライやドニックの製品を眺めるのは本当に嬉しい。

狭い店内で、11点1ゲームだけのトーナメントで参加料は5ドル。一回戦を負けた人だけのトーナメントも組まれていて、なかなか楽しい。参加者は今年は32人で、私は昨年も今年も優勝して30ドルの商品券をもらった。優勝するのも当たり前で、参加者はほとんど全員が素人(日本の卓球人の基準では)なのだ。実際、準決勝の相手はチャックだったし、決勝の相手はウォレンだった。素人に混じってやるのは居心地が悪いが、店側も観客も喜んでくれるし、いい気持ちになるので、それなりに楽しい。

私が強いとわかると観客の何人かがやってきて、ラケットを見せろと言う。他の大会でもそうだが、彼らはどうも私のラケットに秘密があると思うようで、球を突いてみたりしている。中にはラバーの知識がないやつもいて、私のラケットのイボを見て「これで回転がかかるんだな」などと言ったりする。

ウォレンとの決勝が終わると、ひとりのインド人の観客が寄ってきて「お前が本気を出したのは最後の決勝だけと見たが、その通りだな?」などと聞いてくる。「いや、準決勝のときから本気だ」と正直に答えた。するとそのインド人、私が日本人だと知ると、1956年の東京大会で活躍したオギムラとタナカを知ってるかと聞いてくる。たまたま私だから知ってたものの、そんなこと聞かれても普通はわかるまい。どうやら彼がいいたかったのは、そのときに活躍したインド人選手がいて、その人が田中利明に負けたということらしい。

さらに、日本は強かったが60年代からは中国に負けてさっぱりで、田中の後は世界チャンピオンいないだろなどと言う。私が「いるよ」というと、「いつ、誰が優勝した?」と聞いてくる。1967年ストックホルム大会の長谷川、1969年ミュンヘン大会で伊藤、1977年バーミンガム・・と言っている途中に彼は「ああそうか」と興味をなくし、話を終わらせられた。それにしてもこのインド人、いくら年寄りとはいえ、50年前より新しいことを知らないなんて話が古すぎるだろ。

店の外の大きなスクリーンには王励勤と柳承敏のブレーメン大会の死闘が無音で映し出されていた。こうして楽しいバーミングハムの夜は更けていったのだった。