若者は言葉をぼかす傾向があるのか?

何日か前のニュースで、最近の若者の言葉について「わたし的には・・・」などという言い回しが多く、断定することを避ける風潮が広がっているなどと解説していた。文化庁による国語に関する世論調査の結果だという。

若者に限らず、日本人はどの世代も断定を避けるのは同じである。「課長の方から」などと無意味な方角をつけるし、組織を代表する発言のわけがないのに「個人的にはこの味が好きですね」と言う。そんなものに個人的ではない発言があるのかと聞きたい。

仕事の場ではちょっと前まで「部分」が大流行りだった。「明日の会議では時間厳守といった部分で発表していただき、そう言った部分で・・・」などと、もう部分集合がひどく、まことに目に余る(耳にか?)状態だった。

最近では「ところで」がこれに変わり「明日の会議では時間厳守といったところで発表していただき、そういったところで・・・」と、ところところと、もはやところてん状態である。

こうやって、会話の中に余計な単語を挟んで意味をどんどん薄めてボカしていく。ボカすのは映像作品だけにしてもらいたい。

コンビニの店員が「1万円からお預かりします」と言うのも「いただく」と正直に言うのが嫌でボカしているからだ。1万円から一部を預かってさも後で返すとでも言わんばかりだが、もちろん返すようではその店員はクビだ。「1万円からいただきます」または「1万円をお預かりします」なら正しい。

以上のように、断定を避け、意味をボカしたいのはどの世代も共通であり、ただ世代によって流行が違うだけのことなのだ。新しい言葉を取り上げては、もっともらしい分析をして見せ、それらに違和感を持つ古い世代の溜飲を下げるわけだ。この手口もいつの時代もまったく変わらない。

若者は言葉をぼかす傾向があるのか?” への 1 件のコメント

  1. もしや、それらはすべて、かつて長嶋茂雄が日本語に及ぼした破壊的影響の名残なのでは!

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