先日、ネットで「お寿司を食べるときの正しいマナー」というものが紹介されていた。クイズ形式になっていて、①ネタをはがして醤油につけてからご飯の上に戻して食べる ②寿司を箸でつまみながら下方に左手を添えて口に運ぶ ③寿司を箸でつまみながら下方に左手でもった小皿を添えて口に運ぶ
正解は③だそうで、醤油が垂れるのを防ぐためだそうだ。こういうことを知らないと恥をかくそうだが、こんなクイズの問題になるような「マナー」を守らないからといって一体どこで恥をかくというのだろうか。まったく不思議な話もあるものだ。マナーにはすべてそれらしい理由があって、実用的なものもあれば、見た目の美しさという基準もある。小皿を持って寿司の下に位置させる動作は美しいとはとても思えないのだがいかがなものだろうか。
また、私が違和感を覚えるのが、爪楊枝を使うときに両手で口元を隠す動作だ。口を閉じられないほど歯が出ていて、そうしないとモロに食べ物カスをほじくっているのが見えてしまう人ならいざ知らず、普通の人でもそうするのがマナーだと思っている一派がいるようだ。しかし、さりげなく爪楊枝が唇の間に挿入されている様子を見て不快に思う人がどれだけいるだろうか。少なくとも私は、爪楊枝ごときに大げさに両手で作業をされるとなんとも居心地が悪くなってしまうが、これは各自の習慣からくる違いのなのでいかんともしがたい。
一方、私が気になる食事のマナーはただひとつ、クチャクチャと音を立てて食べることだ。近くでこれをやられるととても我慢ができず、席を立つしかない。なんでこんなに音を立てて食べるのかと、腹立ちまぎれにその口元を見ると、そもそも唇を閉じないまま食べ物を噛むために音がするのであるから、当然、咀嚼中の食べ物が見えることになり、余計にまた腹が立ってくる。
音に対する不愉快は、習慣とか形式とは関係がなく生理的なものであり絶対的なものだと自分の不快感を正当化していたのだが、考えてみると、犬とか猫、あるいは幼児が音を立てて食べるのを見て不快に思ったことはないし、物凄い出っ歯で絶対に口を閉じられない人とか、病気で鼻が詰まっていて息をするために口を開けなくてはならない人を想像すると腹は立たないので、やはりこれも後天的な不快感なのだろう。音を立てて食べるのが「美味しい」という意味で礼儀になっている国もあると聞くし。だから私は自ら席を立つしかないのであった。どうしても席を立てない場合は、犬とか猫とか幼児あるいは病気の人を思い浮かべて気を鎮めようとするのだが、うまくいったためしがない。
友人に、カレーライスを食べるときにカレーとご飯をあらかじめスプーンでカチャカチャとすべて均一にかき混ぜてから食べる男がいる。ビビンパなどそのようにして食べる料理もあるので、これを否定することは極めて難しいが、私が妻ならとても耐えられない所作である。
食事のマナーとは、不愉快に思うのも思われるのも、なんともやっかいなものである。