小説を書く

かねてからの懸案であった、小説を書き始めた。

といっても、何か良い案が浮かんだわけではない。良い案が浮かぶまで待っていたら一生書けないだろうと思い、とにかく主人公の名前を適当に会社の同僚の名前(伸也)に決めて、話を転がして見ることにした。

ブログでも雑誌の原稿でも、書き始めれば自然と案が浮かぶことがあるので、小説でも書き始めればなんとかなるだろうと思ったのだ。

ところが、これが途方もなく苦しい。5,6行も書くともう、自分で嫌になってしまって進められない。陳腐、無意味、バカバカしい行の連続である。自分の考え以外のことを想像して書くというのはこれほどまでに苦しいものなのか。小説を書きたいと思った理由は、自分という人間から、架空の人間と世界を作り出して、それを他人に体験してもらうという、なんだか創造主にでもなるような喜びがあるだろうと想像したからだ。

書くためにいろんなことを考えた。自分が詳しいことや強く思っていることをリストアップしたり、あるいはまた単純に可笑しい状況設定を考えて見たりだ。しかしどれもこれも話を作れそうになく、文字通りお話にならない。

気分を切り替えて、自分が読みたいと思うような小説を書くのが良いだろうと考えた。自分で面白いと思えば、仮に他人から酷評されても耐えられるし、最悪、自分で楽しめばいいではないか。だいたい、自分で面白くないものを書き進められるわけもない。この考え方はいいぞ、と前向きな気持ちになった。それで、面白かった小説を思い出して見ると、それがひとつもないことに気がついて愕然とする。私は評論やエッセイなど、物事を主張する本は大好きでたくさん読んでいるが、小説はほとんど読まないのだった。読むとしても書き方の参考のためであり、面白いと思ったことはほとんどないのだ。

何か根本的に間違ったことをしようとしているような気もする。

書きかけの駄文のことを考えると心底嫌な気持ちになるが、やめるのは悔しいのでしばらく続けて見ようと思う。誰に頼まれたわけでもないのに自分からこんな嫌な気持ちになっているのだから、まったく贅沢な遊びである。