少年犯罪

『戦前の少年犯罪』という本を買った。これは画期的な本である。著者は、少年犯罪の凶悪化がいわれている昨今の風潮が本当なのかを確かめるため、昔の少年犯罪がどのようなものだったかを新聞を丹念に調べ上げて一冊の本にまとめた。

その結果、昔の方が凶悪度も数も今とは比較にならないほどひどいものだったことが明らかになったのだ。誰も彼もが「最近の犯罪は異常だ」と言うが、そのような異常者は昔の方が今よりもずっと多かったし、子供は切れやすかったのだ。この事実を見誤ってその原因を探っても当然、正しい解決策などできるわけがない。

この本に対して下のような書評があった。

<なるほど、ここに並べられた目をおおいたくなる事件を眺めていると、“昔の子どもはよかった”“現代の子どもはモンスター”的な言い方には何の根拠もないことがよくわかる。しかし、「ジャーナリストも学者も官僚なども物事を調べるという基本的能力が欠けていて、妄想を垂れ流し続けています」という著者の憤りはよくわかるのだが、戦前の子どもは「簡単に人を殺し」、現代の子どもは「ほんとにおとなしくなった」とまで言うのもやや断定的すぎるのではないか。データは少年犯罪の増加を示していないのに人々の不安は高まる一方、というところにこそ子どもをめぐる最近の問題の本質があるのでは、とこの労作の著者に尋ねてみたい。>

「データは少年犯罪の増加を示していないのに人々の不安が高まる一方なのはなぜか」って、この人は本当にそんなこともわからないで書評を書いているのだろうか。そんなもん、視聴率がとれるからテレビやマスコミが多く取り上げるからに決まっているではないか。こんな愚問を書く前に書くべきことがあるだろう。それは、間違った事実認識に基づいて現代人の心の闇だのなんだのと少年犯罪の原因を推定してきたのだから、自分たちの書いてきたことが間違っていたことを認めることである。それを書かずして何を負け惜しみを書いているのだろうか。これだけでこの人の物事に対する姿勢が良く分かる。

昔の方が悪かったのだから、現代の少年犯罪の原因には、ゲームも核家族化も受験戦争もネットもファーストフードも何も関係がなく、むしろこれらは少年犯罪を抑制していて、それを推進した方がよい可能性すら考えなくてはならないのだ。

一方、新右翼の鈴木邦男はそのブログで次のように書いている。

<本を読んで驚いた。今よりも、もっともっと少年犯罪は多いし、道徳崩壊も多い。それなのに、「昔はよかった」「今は人々の心が荒んでいる。凶悪犯罪が多くなった」と言っている。無責任に。私だって同罪だ。「妄想の教育論」「でたらめな日本論」と言われても仕方はない。>
前出の書評との差は歴然である。こういうことを「格が違う」というのだ。