分かち書き

学生時代、一足先に就職して外国に赴任した友達から手紙が来たことがあった。それは、異様な文体だった。

「よう 条太 元気か? 俺 は 元気だ。」

というように、単語の間が奇妙に空いた文章だったのだ。そいつは文章などは苦手な男だったから、英語を使う生活に慣れてしまって、日本語の書き方を忘れてしまったのだろう(このような書き方を「分かち書き」というhttp://ja.wikipedia.org/wiki/わかち書き)。いくら理系だったとはいえ、国語が苦手にもほどがあると笑ったものだった。

ところが電子メールが普及すると、外国暮らしをしたわけでもないのに、単語の間を空けて書いてくる人がいることに気がついた。本人は、読みやすいように気を利かせているんだと思うが、まるで新聞の文字を切り抜いて作った脅迫文のようで読みにくいことこの上ない。自分では読みやすいのだろうか。

26個だけのアルファベットで書く英語と違って、日本語は、平仮名、漢字、片仮名、句読点で十分読みやすく書くことができるように発達した文字なのだから、「俺 は 元気だ」などと書かなくても、「俺は元気だ」と書けばちゃんと漢字で書いた部分が平仮名から浮き立って意味の区切りがわかるのだ(もちろん、看板や見出しなどは別だ)。

職場の同僚に極端な分かち書きでメールを出してくる女性がいた。前々から腹に据えかねていたので、ついにあるとき我慢しきれずに「読みにくいから普通に書いてください」とお願いをした。するとその女性は、「そんなふうに書いた覚えはない」と言う。私のパソコンの画面を見せても「原因が分からない。自動でそう変換されるようになってるんじゃないの」などと言う。そんな頭の良いパソコンがあるわけがない。

納得できない私は、その女性の机に行き「じゃ、私が見てるから、いつものように文章を打ってみてください」と言った。すぐに打ち始めたその人、単語を打った後に間髪入れずにスペースキーを叩き、その瞬間、「あっ」と声を上げた。無意識だったのだ。

中 には、わざわざ 半角 の スペース を 入れる 人 も いる(この文のように)。手間をかけて読みにくくしているわけだ。それが読みやすいなら、世の中の本はすべてそのように印刷されているはずだが、そうではない。書くときに生じる、錯覚による違和感が、無駄なスペース挿入作業をさせているのだ。

ただ普通に書けば、どれだけ書きやすく読みやすいことか。