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世界卓球速報開始!

いよいよトップページに私の世界卓球速報ブログができた。http://www.world-tt.com/cgi-bin/rep0904i/rep0904i.cgiなんかかっこいい見出しになっている。

今回は、速報ブログと並行して、ここにもいつものペースで書いていこうと思う。

方向感覚

私は方向感覚がいい方だと思う。といっても、地磁気を感じて北がわかるということではない。方向転換をした履歴を覚えていてだいたいの方向がわかると言うことだ。

特別良いわけではないと思うが、ときどき方向感覚が悪い人に出くわすので、「あ、俺はいいほうなんだな」と思うのだ。たとえば仕事をしているときに、部屋の中で別の棟の建物のことが話題になったとする。すると、ある人は無意識にその建物の方向を指差しながら離すのだが、それが90度以上も違ったりするのだ。私は「あれ?別の建物の話かな?」と思って、「え?こっちですよね?」などと言ってしまうのだ。当然相手は「どうでもいいだろそんなこと」と憤慨する。揚げ足をとったつもりではないのだが、あまりに違う方向を指されると確かめたくなろうというものだ。それにそんなにデタラメな方向なら指差すだけ害だ。

家でも、妻が「ガソリンスタンドで買ってきて」とやっぱりトンチンカンな方向を指して言う。「そっちにガソリンスタンドあるか?」と言いそうになって、すんでのところで止めた(ような気がするが、言ったかもしれない)。

おかしいのは、仕事中に「日本」の話をするときでさえ指差す人がいることだ。そんなに遠くのことを話すのに方向を意識するというのが可笑しい。いったい何の方向を指しているのかとよくよく考えてみたら、近くの空港を指しているのだった。実際には地球の裏側なのだから、斜め下を指すべきだろうが、そんなヤツいるかよ。

人形俳句写真『種の起源』『カント』

世界戦にはやる気持ちを抑えるため、義姉の人形俳句写真を載せておこう。

こちらもなんだかすごい勢いで新作が毎週のように送られてくる。『種の起源』とは気が利いた題名だ。写真も素晴らしい。最初はわけのわからない俳句が嫌だったが、今ではこれがないとちょっと寂しい。だいたい、『種の起源』なんてふつうに読むような本じゃないんだが。

世界戦まじか

いよいよ横浜の世界卓球が間近に迫ってきた。

世界選手権後は5月発売の雑誌に間に合うようにいそいでその取材記事を書かなくてはならなく余裕がないので、今のうちにと通常連載の分を書きあげた。

「世界選手権関連の記事を」という編集担当の友さんの要請で、思い切ってフィクションを書いた。タイムマシンを使った古今東西の名選手による『オールタイム世界選手権』の観戦記だ。書いてみると予想以上によいできで、最高傑作ができたと思っている。特に同世代の卓球マニアにはこたえられない内容なので、楽しみにしていて欲しい。

世界戦では昨年の広州と同じように現場から実況をする。まもなく卓球王国のトップページに専用のブログができる予定だ。こうして書いているうちに、急にドキドキしてきた。

言ってる意味わかります?

仕事で若い世代と話しているときに、悪気がないとわかっていても言われると内心腹が立つ言い回しがある。「言ってる意味わかります?」だ。10歳以上も年下の後輩たちが言うのだから、失礼のつもりはないはずだし、おそらく自分の説明が十分か不安になってこう言うのだろうと思うが、この表現ではどう聞いてもこちらの理解力を問われているようにしか聞こえない。

「要領をえない言い方をしておいて『意味わかりますか』とはどういうことだ?」と思うのは私だけだろうか。

ところがこれ、英語では実によく使う。Do you understand?としょっちゅう会話に挟み込むのだ。異人種国家ならではの表現なのだろうが、それとは関係なく、私は英語がわからないことがしょっちゅうなのでこう聞かれてもしかたがない。

あるとき、マークという年配のおじさんがネロネロと訛った英語で私に説明をはじめ、とちゅうで聞くのをあきらめて生返事をしはじめたところ、隣で聞いていたマイクがニヤニヤしだした。あとで「なんで笑ってた?」と聞くと、ものすご~くゆっくりと”YOU DO NOT KNOW WHAT HE SAYS”(彼が言っていることわかってないだろ)と言った。クソ、見抜かれてたか。とはいえ、こういうときはunderstandのかわりに簡単にknowでよいことがわかり勉強になった。

大くしゃみ

ときどき、とてつもなく大きな声を出してくしゃみをする人がいる。親戚にひとりいてとても印象深かったが、その後、学校や会社で見かけ、世の中にはある確率でそういう人がいることがわかった。アメリカに来てからは、今一緒の部屋で仕事をしているアメリカ人がそうだ。

アメリカ人はくしゃみをするといちいちexcuse meと言って謝り、周りの人はGod bless you(神のご加護を)と言っていたわり、くしゃみをした人がthank youという。この一連のやりとりが実にめんどくさくて、私はやらないようにしている。

ともあれ、アメリカ人はくしゃみをしただけで周りの人に謝るのだが、さすがに上記の大声でくしゃみをする人は全然excuse meとは言わないし、周りの人も笑うだけであきれている。なにしろ静かな部屋で突然、ほぼ絶叫状態でくしゃみをするのでみんな一様に驚くのだ。驚かされるので内心は腹が立っているに違いない。私も実は不愉快に思っている。

以前、日本にいたときの上司がこのレベルの絶叫くしゃみをする人だった。あるとき、装置に問題があってメーカーの人を呼んで深夜までかかって装置を直していたことがある。夜11時頃になるとまわりは誰もいなくなって私とその上司とメーカーの技術者の3人だけになり、装置の発する機械音だけが静かに鳴っていた。と、その上司がくしゃみをしそうな顔になった。わたしは「まずい」と思ったがときは遅く、「ハエーックショーーイ」と怒鳴り散らすようなくしゃみをした。装置の摘みを回していたメーカーの人は腰を抜かさんばかりに驚いて全身をちぢ込ませて床にしゃがみこんでしまった。心臓が弱い人ならショックで死んでも不思議はなさそうな状況だった。

どうも本人は、自分のくしゃみがどれだけ異常なのかわかっていないようである。「くしゃみをする瞬間、鼓膜が開いたりして聴覚が麻痺して自分では聞こえないようになっているのではないか」という仮説を同僚と話し合ったものだ。

同じ上司があるとき、社外に電話をかけ始めた。なかなか相手が出ないらしく、ダイヤルしたまましばらく受話器を耳に当てて待っている。そのうちに例のくしゃみをしてしまい、直後に「失礼。○○の△△と申しますが・・」と続けたのだ。電話に出た途端にバカくしゃみを聞かされた相手はどう思っただろうか。

なお、女性でこのようなくしゃみをする人はひとりも知らない。遺伝子のためなのか自分で矯正するためなのかは興味深いところだ。

コカコーラゼロ

ダイエットを始めてから、飲料はカロリーのないものを飲むことにしている。それまではダイエットコークなどまずくて飲めないと決めてかかっていたのだが、ないよりはマシである。

それで気になり始めたのが、コカコーラゼロという商品だ。ゼロというからにはカロリーがゼロなのだろうが、実はダイエットコークももともとカロリーはゼロなのだ。違いがわからない。ヒントとして、コカコーラゼロにはreal tasteと書いてある。つまり、砂糖を使っていないのに砂糖を使ったものと同じように上手いという意味なのだろう。

どうにもモヤモヤしていたので、ネットで調べてみたらたちどころにわかった。ダイエットコークが女性用に開発されたのに対して、ゼロは男性用に甘みを抑えて炭酸を強くしたものなのだそうだ。それならそう書いてくれればとても納得する。「リアルテイスト」だの「美味しくなって新発売」だの意味のわからない宣伝は止めて欲しいものだ。こういう宣伝を見たときは「何も変わってないに違いない」と思うことにしているので、少なくとも私に対しては逆効果だ。

で、ゼロは結構上手いと思って気に入っているので、今はゼロだけを買うことにしている。なお、同じくダイエット中のデビッドは、ゼロはまずくて飲めないのでダイエットコークだけにしているという。

お爺さんとの会話

ウォルマートの床屋で順番待ちしているときに、隣に座ったお爺さんと話した。なんと90歳のおじいさんで、床屋の前のベンチに座っているからてっきり床屋の順番待ちだと思っていたら、奥さんが買い物を終わるまで休んで待っているだけだという。

日本から来たというと、次に歳を聞かれた。答えるとしばらく考えてから「じゃ、戦争が終わったときのことは覚えてるな?」という。まさかと思いながら「日本とアメリカの戦争のことですか?」というと「そうだ」という。とほほ。私が生まれる20年前の話じゃないかよ。もう90歳なのでその辺はどうでもいいのだろう。

普通、会社の外でのアメリカ人の英語は早くてほとんど聞き取れないのだが、この人の英語は完全にわかった。どうしてかと考えると、90歳なので異常にゆっくり話すのだ。しかも耳が聞こえないので大声だ(周りの人に見られて恥ずかしかった)。終戦時にはニューヨークの部隊にいたというだけあって、南部訛りもなく聞きやすかった。ドイツか日本に行きたかったが終戦になって行けなかったと残念がっていた。どちらも当時のアメリカにとって『悪の枢軸国』だ。やっぱり退治しに行きたかったのだろうか。

年寄りにあまり話し相手がいないのはどこも同じらしく、私相手に喜んでいろいろと話してくれた。「俺の名前はフランク・マネーというんだ。Moneyのマネーだ。覚えておいてくれ。」と言われたので「OK、フランク・キャッシュ」と私のイメージするアメリカ風ジョークをとばしてやった。

ケネディ宇宙センター

先日、車で6時間ほどかけて、フロリダ州のケネディ宇宙センターを見物してきた。偶然にも若田さんを打ち上げたスペースシャトルが帰還した日だったが、それは見なかった。

かなり広い敷地で、バスツアーに入ってあちこちを見て説明を受けたのだが、例によって英語があまりよくわからない。

唯一はっきり分かったのは、ロケットを打ち上げるときの騒音がとても大きいことを説明したところだ。ロックコンサートでもっとも大きな音を出した記録は、1960年代のイギリスのロックバンド「ザ・フー」の129dBでギネスブックに載っているが、ロケットの打ち上げの騒音はその16倍にもなるという。こんなことだけよく分かってもしょうがないんだが。しかしちょっと嬉しい。

広大な敷地内の川にはワニがあちこちにいて、バスガイドの男がそのたびにバスをとめて客に見るように勧めていた。研究者がときどきワニに食われるというようなジョークを盛んに話していたが、客はあまり笑わなかった。このバスガイド、自分のジョークにひとりで大笑いしているのだが、どれもこれもイマイチな様子が客の反応から見て取れる。

せっかくケネディ宇宙センターにアメリカ中から見物に来ているというのに、ワニの話をああもしつこくされたのでは客もたまったものではあるまい。あとで以前行ったことのある人にきくと、そのときもガイドはワニだの鷹の巣だのをさかんに説明していたと言う。たぶんこのガイド、ロケットに興味がないんだと思われる。

不思議なくらい何も思いつかない

小説かドラマの脚本を書いてみようと案を練っているが、不思議なくらい何も思いつかない。練る案もない。いつも本を読んだりドラマや映画を見ては分析したりしているのに、自分で何か考えるとなると全然ダメだ。頭の中はまったくもぬけのカラだ。考え始めるとどうしてもすでにある話になったり、自分の意見を考えてしまう。根も葉もないことを考えるとはこれほどまでに難しいものなのか。それとも、フィクションを作ることのできる人はある特性があって、私のような批評家タイプはそれはできないことになっているのだろうか。

雑誌のコラムではある程度の読者を得ている私が、フィクションは一行も書けないなんてことは納得がいかない。

話を作るためには、登場人物が何かで困らなくてはいけない。困らないところにストーリーはない。病気で困れば医者の話だし、犯罪で困るのが刑事ものだし、片想いで困るのが恋愛ドラマだし、地位で困れば出世ものだし、金で困るのがサラ金ものだ(めったにないが)。

あとは、キャラクター主導なのかストーリー主導なのかがある。特徴的なヤツを主人公にしてその特徴をもとに話を転がすのか、環境を異常にして普通の主人公を転がすのかだ。いずれにしても何一つ思いつかない。これまで、こんなことを考えようとしたこともないので無理もないが、もうしばらく考えてみようと思う。

たぶん、書ける人というのは、こんな分析的なことなどしなくても、子供の頃からどんどん空想して話が湧き出てくるんだろう。私はそれがないので、上のように理詰めで要素を組み合わせて無理やり作るアプローチしかない。それにしても悔しい。

学校から帰ってきた息子が「まだ不思議なくらい何も思いつかないの?」と言う。うるせえよ。