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トマトトースト

先日、ある出来事がきっかけとなって好きになってしまう食べ物のことを書いたが、最近、またそれに近いことがあった。

隣の席のマイクが、トーストにスライスしたトマトを乗せて食べていたのだ。トーストにトマトだけとはずいぶんシンプルだが、彼によると、これはこの地方に古くからあるスタンダードな食べ方で、美味しいのだという。コツは、トーストにバターを塗って、マスタードと胡椒とタバスコをたっぷりとかけるのだという。

味はどうにも想像できないが、見ていると確かに旨そうな気がしてきた。それで、家族が里帰りをしている間に、これを夕飯にしてみた。切れない包丁でトマトの汁をピューピューと飛ばしながらスライスし、マイクの言うとおりマスタードと胡椒とタバスコをかけて食べてみた。

結果・・合わない。全然美味しくない。さすがの私もダメである。自らの限界を思い知る出来事であった。

くまだまさし

ある人から、「条太さんにそっくりな芸能人を見つけた」と言われた。私がこれまで似ているといわれた芸能人といえば、オウム真理教の上祐(芸能人じゃないか)、サッカーのなんとかいう選手、悪くてもウルフルズのボーカルの人であり(いずれも髪の毛があったときの話だ)、そういうのを思い浮かべたら、今回はお笑い芸人だという。

お笑いでも最近ではイケメンもいるはずだから、期待して「モテそうな奴か」と聞くと「いや・・ちょっと・・とにかく見てください」と言ってURLを送って来た。

「くまだまさし」という、おゲレツ・スタンダップコメディーの人らしい。
http://www.youtube.com/watch?v=UmrbjHHsDQU

まったくふざけた話である。今度簀巻きにしてやらないとな。

人形俳句写真の世界

『人形俳句写真』という世界があるのをご存知だろうか。といっても誰も知らないに決まっている。なんたってそれは私の義姉がひとりでやっているものだからだ。

義姉は主婦だが、どこで覚えたのか、何かに感動をしては異様にリアルな人形を作ってそれに俳句をつけて写真を撮るのが趣味なのだ。

その俳句に意味が分からないものが多かったので(自作ではなく知人の引用らしい)、それを起点にしばらくメールで表現論議を戦わせ、いろいろと勉強になった。ときどき紹介したいと思う。

アロハ・シャツ

トニーという同僚がいる。

彼はいつもアロハシャツを着て仕事をしている。今日も着てきたので、私は先日何かで読んだウンチク「アロハシャツのもとは日本の着物だ」という説を披露した。ところがトニー、アロハシャツについて語る語る、歴史や経緯など長々と語ってくれた(早口でほとんどわからなかった)。

するとマイクが隣から「トニーがアロハシャツをいくつ持っているか知ってるのか」と言う。聞いてみるとなんと170枚持っているとのことだ。これまでに買った枚数は500枚以上だが、保管場所に困って多くは人にあげてしまい、今は170枚しかないのだという。彼はとにかく店でめずらしいアロハシャツを見ると必ず買うらしい。もちろん奥さんは「同じ物があるでしょう!」と怒るらしいが意に介さない。また、奥さんが誕生日に普通のシャツを買ってくれたりするが、トニーはそれを絶対に着ないので奥さんに嘆かれているという。

教会にもアロハシャツで行くのかと聞くと、ちゃんとアロハ用ネクタイというのがあって(形は普通でアロハ模様らしい)、それを着けるので問題ないそうだ。本当かよ。ときには下着もアロハだという。

彼がアロハシャツに懲りだしたのにはきっかけがある。会社に入ったときにあまりに忙しいひどい仕事だったので、怒りがちだったのだが、あるときアロハシャツを着たらとてもリラックスし、温和でいられることがわかったのだという。それ以来、アロハの魅力の虜になり、その収集が趣味となってしまったらしい。

それにしてはトニー、今も結構すぐに怒るように見えるのは、気のせいだろうか。

英語コンプレックス

我々には英語コンプレックスがある。出版物やCDなどをみると、NORIYUKI OBARAなどと人名がアルファベットで書いている。別に、外国人に読ませるためではないし、民衆に英語教育をしようというのでもない。ただ英語表記がカッコいいと思っているからだ(それ以外に理由があるというなら教えて欲しい)。

私は長く「日本人としてそういうことではいけない」と思い、電子メールの署名でも漢字の後に「Jota Ito」などとたわけたことは書かずに「いとうじょうた」と平仮名で書いていたのだが、いざ自分が遊びでCDを作る段になると、嬉々としてはなはだしい英語を使ってしまったのは我ながら情けない。

このCDは、吉田伸也という男と3枚だけ作ったものだ。当時は自分でCDに録音することはできなかったので、わざわざ業者に依頼をして作ってもらった。吉田は私の音楽方面の1番弟子であり(2番弟子はいない)、「音楽はテクニックではない」ということを知らしめ、ビートルズの魅力を教えてやった関係で弟子と認定している。ただ、ギターは私とは比較にならないほど上手いので、バンド名は『吉田学校』とした。もちろん昭和の政治家・吉田茂の吉田学校が元だが、意味はない。

デビッドのアドバイス

私は日本に住んでいたある時期から、仕事中はシャツの第一ボタンを締めることにしていた。理由は、襟元から出ているTシャツがあまりにヨレヨレでひどく、あるとき、女性社員から「みっともない」と指摘を受けたからだ。いずれのTシャツも卓球王国からもらったりマスターズの全国大会に出たときにもらったりで、それぞれに愛着があり捨てられないのだ。あるのに新しいのを買うのも嫌なので、結局、ヨレヨレのを着続けることになる。

そこで考えたのが、第一ボタンを締めてTシャツを隠すことだ。ネクタイをするわけではないが、印象もきちっとしたものになり、我ながら良い考えだと思った。

それで、ここドーサンでもひどいTシャツのときには襟を締めていたのだが、先日、デビッドから「やめろ」と注意を受けた。理由は、ネクタイをしていないのに襟を締めるのは女性のやることであり、これを男性がやるとすなわちゲイのファッションだというのだ。

私は初耳なので驚いていると、デビッドは「ネクタイをしていないのに襟を締めているファッションをどう思うか」とマーカス聞いてみせた。マーカスは「ビジネスマンらしい」と答えたが、デビッドが「その他の印象は?」と誘導すると、彼は笑いながらゲイの身振りをした。

なお、以前マーカスに指摘を受けたのが、このゲイの身振りについてだ。両手を顔の高さに上げて手のひらを正面にむけて左右に振る仕草だ。ちょうど、日本の皇族が民衆に向かってバイバイをするような小さな左右動を両手で顔の高さでやる感じだ。もともとは、女性がこのような仕草で会話をすることが多いことから来ているらしい。

あるときたまたま私がこういう動きをしたら「ゲイじゃないのならやめたほうがいい」と言われた。「ゲイじゃないなら」と但し書きをつけたところがいかにもアメリカ人らしい配慮だ。

彼いわく、顔より低い位置、高い位置でなら問題ないが、顔の高さで両手を振るとそういう意味になるので誤解を招くとのことだ。もちろん誤解じゃないなら問題ないわけだ。

なお、これとは別にゲイをあらわすサインのようなものもある。日本でならこれは片手を反対側の頬のところに当てる仕草だが、これに対応するのが、こちらでは片手を甲を上にして出し、手のひらを返すような動きを極めて小さくピクピクッと震わせるようにすることだ。手のひらを返すことが男性、女性の入れ替わりをあらわしていて、これが男性でありながら女性の役割をもっているというニュアンスらしい。「彼はゲイらしいぞ」ということを会話抜きに伝えたいときなどに、目配せしながらこのサインを出すらしい。

だいぶ寄り道をしたが、以上の経緯があり、最近、新しいTシャツを何枚か買い、シャツの襟を開けて仕事をしている。これなら文句はあるまい。

つり餌グーッ!

伊丹十三のエッセイ集に、よくトンカツ屋の看板などに豚のコックがニコニコしながら料理をしている絵など描いてあるが、神経を疑うと書いてあった。

私はむしろ、一種のブラックユーモアとして楽しんでいる。描いた人がそのつもりがないとすれば、それはそれでその間抜けさが可笑しいので、どちらにしても可笑しいというわけだ。

仙台の町で、類似のつり餌屋の看板を見つけた。粋なミミズくんだか毛虫くんだかが、「グーッ」とサインを出している。素晴らしい。

何年か前に、お盆に実家で外で焼肉をして食べたことがあった。親戚が集まってワイワイやっていると、飼っている牛が「ンモオー」と鳴いた。それを聞いた親戚のおばさんが「牛ちゃんも鳴いてるよ、僕の番だよモーって」と言ったのがとても可笑しかった。このおばさん、いつからこんなにキレるジョークを言うようになったのだと思ったが、後から考えると、「僕の番」というのは、「僕にも餌が欲しい」ということであって、決して「僕が食われる番」ということではなかったのだ。勘違いした私だけが大笑いしたのだった。

お面

今回の里帰りでは、ほとんどの夜を仙台の妻の実家でお世話になった。義理の父親は美術に興味があり、茶の間の上のほうにはさまざまなお面が飾ってある。

その中のひとつが私に似ていると当時小学生だった姪っ子が指摘し、みんながそれに同意した。眉毛が太くて垂れていること、頬が赤いあたりがそう思われる原因だろうか。いつも他人の特徴をとらえたり描いたりしているのに、急に自分のことを言われるとあまり面白くはないものだなと思った。

卓球飲み会

夜は宴会を行った。例によって田村が「飲み放題」にこだわってみんなの批判を浴びたが、いざ行ってみると意外に美味しいことがわかった。田村は不当な批判をされたことに対していつまでも愚痴を言っていたため、「お父さんしつこい」と小学生の娘にたしなめられていた。

飲み会では、自称「師匠」がフォアドライブとバックドライブのインパクト近傍の理論を熱っぽく語った。

私はすっかり疲れてしまい、かべによりかかってついバックハンドで酒を注いで飲んでいた。

隣の女性は、私が学生時代に7年間お世話になった親戚に住んでいた、いとこで、私の知人とは旧知の仲だ。この日は、一度誘ったものの、「卓球の話ばかりで話が合わないだろうから、やっぱり来ないほうがいいんじゃないか」と言われたことがかなり悔しいらしく、「冷たい」と何度も何度も恨みがましいことを言っていた。