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ナス?

卓球用のカバンから出したユニフォームがやけに臭いと思ったら、カバンの底から異様な物が出てきた。一瞬、ナスだと思ったが、なんとこれがバナナ。3月にアニストン・オープンに出たときのものだ。カバンの中にシューズやラケットとともに入っていたので、その重さでぴったりと潰れて黒くなっていた。恐ろしや。

パソコンの画面でこの写真を見ていると、三男が近くにあった分度器を画面にあて、「こうやって測るの?」と言った(そうやって測るものではない)。

この分度器がなんと、パソコンの画面に表示していた黒バナナと偶然にもぴったりだったのだ。それにしても、黒バナナの丸みがこれほどまでに正確な円であることと、画面での大きさが分度器にぴったりだったことが驚きだ。なんたる偶然だろうか。

錯覚

先週、コロンバスというところにベトナム料理を食べに行ってきた。以前はドーサンにもベトナム料理屋があったのだが、今はないので、アメリカに来て初めてのベトナム料理であり、大変おいしかった。

昼食にベトナム料理を食べた後、その近くのアーバンという町に行き、大きなプールに入ってきた。とても大きな滑り台があり、正面から見るとどう見ても、ほぼ垂直に落下するように見えたのだが、横に回って見ると意外になだからかだった。写真に分度器をあてて測ってみると、急な方でも48度しかなかったのにはあきれた。人間の目はかくも怪しいものなのか。

場内にはゆっくりと流れるプールもあるのだが、泳いだ客が、貸し出し用の浮き輪をどんどんプールに置いたまま上がっていくので、写真のように浮き輪だらけになる。かと思うと、幼児をさんざんプールで遊ばせた後、帰り際にオムツをはかせている人もいる。つまり、そういう幼児を海と同じつもりでプールに入れているのだ。もう慣れるしかない。

もう里帰り

早いもので、もう赴任してから1年半近くが経ち、6月の後半2週間、里帰りをすることになった。

里帰り中は、卓球王国編集部に寄って練習会に参加し、編集部の面々と卓球の勝負をしたい。とくに広州で一緒に仕事をした渡辺トモくんとは、会話をしていた限りではどちらが強いかまったく予断を許さない状況なので楽しみだ。広州で、二人で話すときに共通の知り合いを引き合いに出して自分たちの強さの比較をしようとしたのだが、いずれの知り合いも自分よりはるかに強い人ばかりだったため、比較の用をなさなかった(「弱いので有名な人」なんてめったにいるわけがない。こういうとき、レーティングがあると便利だ)。

ただ、トモくんがやるボル、平野の物まねを見るとかなりデキるということだけは推測される。あれほど選手の特徴を捕らえている人がメチャクチャなフォームということはないだろう。

次に興味深いのがバックハンド狂の高橋さんだ。フォームを見る限りでは一応「入りそう」だが、実戦と素振りは違う。それにフェアプレーを理想としているようだが実戦ではひどいバッドマナーらしい(自分で言っていた)。

編集長の今野さんは、なにしろ荻村伊智朗に直接指導を受けた人なのだから、頭頂にその着陸跡ぐらいはまだ残っているかもしれない(UFOか?)。

中国リポートの柳沢太朗さんは大丈夫な気がする。あれほどの博識な人は練習しているヒマはなかったに違いないし、知性が度を越した情熱のブレーキになり、激しい練習はできなかったはずだからだ。

久保はまあ大丈夫だろう。

結果は帰国後に報告するとしよう。

自分とは何か

「自分とは何か」といっても、よくある「自分探し」の話ではない。

『シックス・デイ』というクローン人間に関する映画をDVDで見た。中学生のとき藤子不二夫のSF短編『俺と俺と俺』を読んで以来、非常に興味を持っていた「自分とは何か」を考えさせられるテーマだ。

自分とは肉体、頭脳、記憶、意識のどれだろうか。多分、肉体だという人はいないだろう。おそらく、記憶と意識をもった脳こそが自分だと誰でも思うだろう。それでは、上記の映画やマンガにあるように、なんらかの方法で脳を記憶ごと複製できたとしたら、それは自分だろうか、それとも自分とは別のものだろうか。たぶん、「それは自分ではなく複製にすぎない」と言うだろう。しかし、なにしろその複製は、自分と同じ記憶を持っているので、複製本人としてはまさに「自分」のつもりなのだ。肉体が本物と違ったところがあったとしても、「肉体そのものは自分を決める重要なものではない」ことは先に認めているわけだから、それは判断基準にならない。だからその複製は敢然として自分であることを主張するだろう。

実はこの二人はまったく対等だというのが私の考えだ。

次に出てくる疑問。では、本物を殺して複製を聞かし続けても、それは自分が生き続けたと考えてよいか。これも、感覚的には抵抗があるが、実はそれで良いというのが私の結論だ。

なぜなら、我々は毎日それをやっているからだ。それは寝ることだ。寝ることによって、私たちの意識はそこで一度途切れる。翌日目が覚めたときに昨日の自分と同じだと感じるのは「記憶」があるためにすぎず、その絶対的な証拠ではない。

仮に科学が発達して、ある人が寝ている間に複製を作ったとしても本物との間に優劣をつけることはできない。つまり、自分が自分である保障はどこにもないのだ。毎朝目覚めているのは、自分の記憶を引き継いだ他人であると考えてもよい。それでは昨日の自分はどうなるのか、死んだと考えていいのか。その通り。眠るということは、意識がとぎれるという意味で、死んだのと同じことであり、だから我々は毎日死んでいるのだ。

なんと自分というもののあやふやなことよ。自分探しもへったくれもない。

と同時に最近思うことは、毎晩死んでは記憶を引き継いで目覚めることを、これを「生きている」と考えてよいなら、自分が本当に死んでも、友人やら子孫やら誰かが自分のことを覚えていてくれる人がこの世に残っていれば、実はそれもある意味で「生きている」と言えなくもないということだ。「○○さんは私たちの心の中に生きている」というセリフが、比喩ではなくて本質的な意味で事実と考えることもできるわけだ。

この話、何度か人に話したことがあるのだが、どうにも、うまく表現できたためしがない。

教師、指導、選手・・

昨日に引き続き、卓球王国7月号で紹介した、アメリカで売っているラケットの紹介をしよう。バタフライのラバー付きラケットなのだが、その製品名がすごい。

KYOSHI(教師)、SENSYU(選手)、SIDO(指導)、KODO(行動?講堂?)などというのがいったい製品名たりうるのだろうか。

もっとも、ヘタな英語を使えば状況はさらに壊滅的になるのだろうから(『キャバレーロンドン』、『居酒屋リバプール』のように。9/4参照)、このほうがマシなのかもしれない。どうして日本語としても製品名らしい名前にしないのかを考えてみた。これは、日本語を覚えようとして日本語学校に通っているアメリカ人が習いそうな日本語を使っているのではないか。あるいは、命名者自身が日本語学校に通っていて、覚えたばかりだとか。もうひとつの可能性は、まず製品名としてふさわしい概念を英語で考えて、それから辞書で日本語を見つけたということか。それにしても「教師」とか「指導」、「行動(講堂?)」などという製品群の名前の由来を説明することは難しい。

ミシュラン製のラケット

卓球王国7月号に書いたミシュラン製のラケットを紹介しよう。

ミシュランといえば、フランスの一流タイヤメーカーだが、そのミシュランが何を考えてか卓球のラケットを作ったという。彼らの技術の粋を尽くして『エア・ドライバー・システム(ADS)』というのを開発したそうだが、ただラケット表面にイボのかわりに穴が開いているだけだ。いかにもインチキくさい原理図が描いてある。なにがADSなんだか。

だいいち、卓球のラケットはその材料の重量の85%以上が木材とルールで決まっているのに、このラケット、ゴムとプラスチックだけでできているので、問答無用のルール違反なのだ。技術の粋を尽くしていったい何をやっているのか。

もちろん、打球してみてもぜんぜん弾まないし回転もかからない、まごうことなきクソラケットだ。500円のラバー付きラケットよりひどい。このラケットを使って試合に勝つ方法があるとすれば、それは相手に使わせることぐらいだろう。グリップまでゴム製なので手がベタベタして気持ちが悪いことこの上ない。パッケージを見ると、2006年のデザイン賞を受賞したとあり、フランスの生んだ世界チャンピオン、ジャン・フィリップ・ガシアンのサインなどしてある。正気かこいつら。

ルール違反をしてまでクソラケットをつくる、これが本当にこれがあのミシュランの仕業なのだろうか。

『コーチはステラン・ベンクソン』

USA卓球協会から送られてくる会報を見ていたら、「ステラン・ベンクソン」の文字が目に飛び込んできた。ベンクソンといえば、私が卓球を始めた中学生の頃に読んだ卓球の本に載っていた、史上最年少の18歳で世界チャンピオンになったスウェーデンの英雄だ(今もその記録は破られていないと思う)。

なんとも気難しそうな、さえない顔をして写っているこの男が、あのステラン・ベンクソンなのだろうか。現役時代に「ミニ・ステラン」と言われていただけあって相変わらず小柄のようだ。

読んでみると、ベンクソンは今、アメリカのサンディエゴでプロコーチをしながら奥さんと暮しているという。記事は、ためらいながらも「あの世界チャンピオンのベンクソン」にコーチをしてもらい、さまざまな指導を受けて、地元のレーティング別大会で見事優勝した54歳の男性の手記だ。

記事の最後には、「この優勝がベンクソンのコーチのおかげかどうかは読者のご判断におまかせしますが、私は誰かに聞かれたら”ええ、私にはコーチがいます。ステラン・ベンクソンがね”と言いたいと思います。」と締めくくられていた。

サンディエゴか・・。なんと、関連会社があるので仕事で行く可能性がある。同じ町にあのステラン・ベンクソンがいると知りながら、会いに行かずにいるなどということができるだろうか。「ベンクソンと酒を飲んで、荻村伊智朗の特訓の話や、伊藤繁雄との決勝の話を聞いた」などと言ったら2番弟子の田村がうるさいことになるので黙っていようと思う。

水遊び

子供たちはブラックベリー摘みの後、暑い中、隣家の兄妹と野球や卓球をして遊んだが、夕方の5時くらいになると湖で水浴びを始めた。スタンの家は湖畔にあるので、歩いて一分で湖なのだ。

湖はボートで遊ぶ若者たちでにぎわっていた。私はヒマなのでみんなと離れたところでブランコに乗って時間をつぶしていると、スタンがやってきたのであれこれ話した。スタンによると、この湖には野生の生き物がたくさんいて、向こう岸にはワニもたくさんいるという。しかし監視員が夜な夜なチェックしていて、こちら側には来ないようにしているから心配ないそうだ。ワニの獲物は鴨、魚、蛇、蛙、亀などらしい。亀の硬い甲羅をワニが噛み砕く様子を想像し「美味いんだろうか」などと、ワニの気持ちになってみたりした。

私とスタンが二人でブランコにならんで話し込んでいるのを遠くから見ていた妻と郁美さんが「誤解を生むよね」と言い合っていたらしい。

湖から帰った後、子供たちはブラックベリーケーキとおはぎを腹にぎっちりと詰め込んで、再び隣家の兄妹と暗くなるまで野球。帰りの車中では即寝であった。

卓球できるところに引っ越す?

スタンの家には昼ごろに着いて、近くの中華バッフェで昼食をご馳走になった。

このあたりは競技として卓球をする人はスタン以外にはいない。練習をするのにも車で1時間半は走らないと相手がいないのだ。この店の店員の中国人にも「卓球はしますか?」と聞いたくらいだそうだ。「中国人になら誰にでもそれを聞くんですか」と聞くと「ハイ。ドイツ人にも聞きます」と言った。

卓球相手がいないことはとても寂しいらしく、そのうち、卓球人口が多いところに引っ越したいそうだ。日本人ではとても思いつかないことだが、そもそも日本では「卓球できないところ」がない。私ももし卓球人口がゼロの町に行ったら確かに引っ越したくなるかもしれない。

背中にButteflyの文字をつけながらレストランで腕相撲をするスタンの卓球狂ぶりがおかしい。

ブラックベリー摘み

フロララのスタン・郁美さん夫妻の家に招かれ、ブラクベリー摘みをしてきた。写真左の遠景に見えているのがスタンの家で、ブラックベリーが群生しているところがすぐ家の裏にあるのだ。6月にはブルーベリーが生るそうだ。

ブラックベリーというだけあって真っ黒な実で、とても甘い味を想像するがそうでもない。ときどき甘いのがあるが、だいたいは少し甘くて酸っぱい程度だ。

中学生の頃、どっかの山奥に木苺が生っているという情報を得て、自転車で10kmくらい走ってわざわざそれを食べに行ったものだった。そう書くと「そんなに食べるものがなかったのか」という印象になるが、そうではない。その当時はすでに今と変わらない食生活だったし、お菓子も好きなだけ買って食べていて、別にひもじかったわけではない。ただ、アケビとか木苺とか、自然に生っているものは特別価値があるような気がしたし、なんといっても野生になっているものを採るところが楽しかったのだ。

30℃を超える猛暑の中(例年通り)、目に汗を沁みらせながらブラックベリーを摘んでいてそんなことを考えていた。

ブラックベリー摘みの後は、スタン家の卓球場で卓球をした。室内は冷房がないので、家側の戸を開けっ放しにして冷気を入れたがそれでも暑く、40℃近くになった。