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卓球界の重鎮

成田空港で藤井基男さんと少し遅い昼食を食べた。藤井さんは、かの荻村伊智朗と親友であり、現役時代は世界最高レベルのカットマンであり、混合ダブルスで世界三位になっている。引退後は卓球レポートの編集長、サウジアラビアのナショナルチームのコーチ、日本卓球協会役員などをへて、現在は卓球愛好家としてニッタクニュースで連載をしている。卓球史研究家としても名著を何冊も書いており、まさに全身卓球家である。

私が卓球王国で文章を書くようになったのはまったくこの人のおかげだ。この人が推薦してくれなかったら、原稿を送りつけたところで難しかっただろうし、私も力が入らず、それなりのものは書けなかったように思う。

藤井さんは成田に住んでいるので、この機会にと会っていただいた。「荻村伊智朗は機嫌が悪いと、選手がパンの耳を残しただけで説教をしていた」とか「日本の卓球台がルールで暗緑色と定められていたのは、国際ルールのDark Colorの濃いという意味のDarkを暗いと誤訳した結果であることが1989年まで分からなかった」などという話をしていると、あまりに楽しくて、自分の父親より年上であることを忘れてしまう。

これほど歳が離れていてもまったく違和感なく、まるで友達のように会話ができるのは、藤井さんと、元タマスの久保彰太郎さんだけだ。いつまでも元気でいてもらいたい。

卓球王国編集部との勝負

いよいよ明朝、成田に向かう。

広州に行くときに成田に寄ったのを除けば、初の帰国だ。すぐに仙台には向かわず、まずは卓球王国編集部の連中と卓球の勝負だ。今後の力関係を左右する重大な勝負である。

ただし、1ヶ月ほど前から右肩が四十肩で後に引くことができず、肩甲骨打法が不可能であることをあらかじめ断っておく。もっとも、トモさんも「最近はラージばっかりで」などと言い訳をしているので、この点でもいい勝負だ。こちらはそれに時差ボケも入るが・・・。

四十肩のきっかけは、椅子に座っていて伸びをしようと両腕を後に引いたことだった。いつもやっていることなのだが、あるとき右肩がピキッとなって、それ以来、肩の関節をある角度にするととても痛いのだ。

会社の医務室に行くと、典型的な四十肩の症状だと言われた。ジャケットに袖を通すときとか、髪をかきあげる動作がきっかけとなって痛くなるのが典型的な症状らしい。こちらではフローズン・ショルダーと言って、病名に年齢はついていないのだが、歳を聞かれて44歳だと言うと、「そういう歳だね」と言われた。そういう歳なのだ。

ユーラシア・カフェ

会社の近くに、また日本食レストランがオープンした。もちろん日本人の店員はいない。

店の名前をユーラシア・カフェというのだが、同僚のマイクに説明しても、店の名前が通じない。なんどか説明すると「ああ、ユーロエイジア・カフェか」と言われた。その瞬間、ピピッときた。

ユーラシアとはユーロ+アジアか!

我々は小学校か中学校で、ユーラシア大陸を習ったが、ユーラシアとは、ヨーロッパのユーロと、アジアを足したもの、つまり、ヨーロッパ・アジア大陸だったのだ!電子辞書で調べると、確かにEurasia[Europe+Asia]と書いてあった。こういうことを40過ぎてから知るのは、新鮮だ。

ちなみに、マイクは「ユーラシア大陸」という単語そのものを知らなかった。

家で卓球

日本人の出張者が2人来たので、宮根さんとともに夕食の後に我が家に来てもらい、4人で卓球をした。ちょっと練習した後に試合をしたのだが、ガレージが暑かったこともあり、みんな汗だくになった。

こういうときのために、昨年12月にiru iru(http://www.iruiru.com/)を通して買った2本のペンラケット(こういう場合にはペンの方が人気があるのだ)をやっと使うことができたわけだ。6ヶ月間も使う機会はなかったのだ。ちなみに、アメリカでは卓球用品はとても高くて、日本製品も日本の1.5倍くらいの値段で売っているので、日本の安い店から航空便で取り寄せたほうが安い(もちろん他国製品も同じくらいに高い)。また、ユニフォームはTシャツでも何でもよいので、それにはほとんどお金はかからない。これからアメリカに来て卓球をする人は、ラケットとラバーだけ日本から買って来たほうがよい。

体操をやっていたという宮根さんは「球技は苦手」と言っていたので少し心配していたのだが、3人とも上手で、ラケットにボールが当たらないというような人はいなかった。私との試合はハンディとして幅3cmぐらいの物差しを使わされたが、空振りが多くてさすがに勝てなかった。ミニラケットを使って勝って面目を保った。写真右端の人は北島さんといって、スキーの大回転でオリンピック候補だったという「変わり者」で、この日はなんと小学校のときに先生に教わったという、鷲づかみによる左右の横回転サービスを操って相手を翻弄していた。ただし、レシーブされると持ち替えが間に合わずミスするというご愛嬌だった。

オイル・サーディン

昨日から家族が日本に帰っているので、久しぶりにひとりで食事をした。

私はふとしたことから他人に影響を受けて、急に好きになった食べ物がたくさんある。以前から知っていて何とも思っていなかったのに、他人が食べているのを見て、急に好きになるのだ。

もっとも古い記憶では小学生とのとき「特ダネ登場」とかいう番組で、ソバに七味唐辛子をものすごい量かけて食べる人を見てから、急にソバに七味唐辛子を入れるようになったし、日本のデパートのスパゲッティナポリタンが大好きになったのも松村雄策のエッセイを読んでからだ。

ゴルゴ13というマンガで、オイルサーディンの缶詰に目がない人が出てきたのを見て(その人はその習慣を利用されてゴルゴに暗殺される)、ずっと気になっていたが、食べる機会はなかった。オイルサーディンといっても、単なるイワシのオリーブ油付けである。

アメリカに来てから、隣の席のマイクが、昼食にそのオイルサーディンの缶詰を食べていた。しかもそれにタバスコをたっぷりとかけている。日本人ならイワシには醤油だと思うが、アメリカではタバスコなのだ。これを見てすぐに店で買ってきてマネをして以来、病みつきになっている。

それで、昨夕、非常用にとっておいたオイルサーディンに醤油とタバスコを別々にかけて、二種類を味わった。これをロールパンと即席味噌汁と一緒にいただいたのだから、組み合わせはメチャクチャである。

畑の進捗

結局、ナスだと思っていたのは雑草だったことがわかった(写真左)。

一方、きゅうりは順調で、見事に生い茂っている。ネットで見て、きゅうりの栽培には棒などが必要とわかったので、昨日、それ用の棒を買ってきてさしたのだが、驚いたことに、もうつるが巻きついている(写真中央)。棒をさしたのが昨夕で、今日の昼にはもう巻きついているのだから、18時間の間に巻きついたことになる。目もない植物が、いったいどうやって棒の存在を知ったのだろうかと考えてみると、おそららくやつらは、一日中、つるを360度ぐるぐるとぶん回しているのに違いない。それで当たった物に巻きつくようになっているのだ。それしか考えられない。たいしたものだ。

また、一時期、雑草かと危ぶまれたトマトはどうやらトマトらしい(写真右)。伸びが遅いが、いつか実が生る日が来るのだろうか。

名前のこと

私はだいたい、他人のものがよく見える性質なのだが、自分の名前だけは小さい頃からとても気に入っている。珍しくてなおかつ読みやすく呼びやすい名前だからだ。いくら珍しくても読めない漢字だったり、「んあ」と発音したり「太郎」と書いて「としゆき」と読ませたりする反則はいただけない。また、たとえ読みやすくても「効果」などという、名前に見えない名前をつけて奇をてらおうというのも反則である。そうまでして珍しい名前にするくらいなら、潔く凡庸に「浩」とでもした方がマシだ。「条太」は誰でも読めてすぐに男子の名前だとわかり、しかも珍しいから気に入っているのだ。もちろん、画数など知ったことではない。

学校の先生にもよく「いい名前だ」とか「ずいぶん立派な名前だからどんな生徒かと思ってたらお前か!」などと校長先生から言われたりしたものだ。

めずらしい名前なので、誰もが私のことを「条太さん」と名前で呼ぶので名字だと思われ「下の名前は何ですか」と聞かれたことが何度もある。あだ名をつけられたことはほとんどない。村上力さんが「じょーちゃん」と呼ぶくらいだ。ここドーサンのアメリカ人で訛りの強い人は「ジオラ」と呼ぶが、これはあだ名とは言えまい(この人たち、tomorrowはルモロウ、todayはルディという感じでtをrのように発音する)。

名前の由来は小さい頃から聞かされてきた。親戚が知人の息子の名前をとってつけたというのだ。その知人は法学者で、息子に名前をつけるときに「世の中は条例で成り立っている。条例に則って太く生きるように」と「条太」とつけたのだそうだ。いかにも法学者らしい話だ(我々卓球人が息子に荘とか郭とか伊智朗とかつけるのと同じだ)。

この話を久しぶりに思い出して「もしや」と思って「条太」をネット検索してみた。すると、山本条太という、ある大学の法学部教授のサイトがあるではないか。この人に間違いない、と思ってその親戚に確認すると、まさにその人であった。私は山本条太さんからとって名づけられたのだ。何か、生き別れになった本当のお父さんを突き止めたような気持ちだ(ちがうって)。

そのサイトでは、当たり前だが「条太さん」という単語がたくさん書き込まれていた。これを見ていると、とても他人事とは思えないのだが、これは他人なのだ(生き別れの父でもない)。

小室の暗躍

何週間か前、3番弟子の小室(仮名)からメールで写真が送られてきた。それは、小室が愛ちゃんと四元さんと並んで写っている写真だった。

5月の初めに仙台で日本リーグの『ビッグトーナメント』というのがあり、その大会の会場運営だかの係になり、その関係で、選手たちとパーティーに同席することができたのだという。

私が広州で女子日本代表チームと撮った写真を見た知人が「普段知っている条太さんと愛ちゃんが一緒に写っていると、よけいに可愛さが引き立つ」と言っていたが、今回、その意味が分かった。

会場運営は大変だが、やってみるものだ。小室の馬鹿野郎。

銃を撃ってみた

同僚のマイクに誘われて、子供たちをつれて銃を撃ちに行ってきた。初め、射撃場のようなところを想像したのだが、マイクの車はどんどん山奥に入っていって、結局そこはマイクの弟の私有地で、だから勝手にいくらでも撃っていいのだという。

これは、他人の土地に入って林の中をうろうろしていると、土地の持ち主に撃たれるということなのだろう。

数10m離れたところに的をおいて撃った。初めに直径4mmの弾のライフルやピストルを撃ったが、音も衝撃もオモチャと同じで、どうということはなかった。筒に爆竹を突っ込んだようなものだ。子供たちもドキドキしながらも撃たせてもらい、喜んでいた。

しかし段々と弾が大きくなっていくと、その音と衝撃は大きくなり、44マグナム(弾の直径が0.44inch=11.2mm)にいたっては、衝撃が凄くて、どこに撃っているのか分からないほどだった。子供たちも恐ろしがって近づこうとはしなかった。だいたい、ピストルなど、撃った衝撃で銃口が真上を向いてしまうほどなのだ。そのくせ、引き金は恐ろしく軽い。自分で改造したのだという。マイクはオートマチックの10連発銃を撃ったりしている。なんと恐ろしい趣味なことか。

一緒にいたマイクの弟は現役の警察官で、その拳銃も撃たせてくれた。初心者の私に撃たせて反応を見るのが面白いらしく、「今度はダーティーハリーみたいに片手で撃ってみろ」とか「今度はできるだけ早く空になるまで撃て」とか言われ、私は手が痛かったが、言われるままに弾倉が空になるまで撃ちまくった。彼は横で、拳銃から飛び出してくる薬きょうを直接キャッチしたりして遊んでいた。的の後の直径5cmほどの木の枝が吹っ飛んだ。

「銃は危険じゃない。危険なのはそれを使う人間だ。」というのがマイクの口癖なのだが、撃ってみたところではどうみても危険だった。面白いとも思わないし、もう触りたくない。

子供たちは、落ちている薬きょうを宝物のように拾い集めて持ち帰り、妻に怒られていた。

食べ物が寄ってくる

私の妻は「食べるために生きている」と言っていいくらい食べることが好きだ(本当は生きるために食べるはずなのだが)。パソコンの壁紙は常に食べ物の写真だし、日本の寿司屋の「今日のお勧め」をむなしく毎日チェックし、食通の人のブログを読んでは「うおー」と叫んだりしている。

美味しいもの情報を得にくいここドーサンでも、労力のほとんどを食べ物の情報収集につぎ込んでいる。カバンの中には常に好きなレストランのメニューと地図を持ち歩いていて、話相手に、食べ物にかける情熱をアピール。酒も好きなので、相手がどのくらい酒が好きかのチェックも怠らない。

妻曰く「最近、食べ物の方から寄ってくる」という。レストランのオープン情報をくれる人や、食事を作ってくれる人が増えてきたというのだ。英語を習うために通っているはずのカレッジ(市民センターのようなもの)の非英語圏出身の友人たちが、スパニッシュ料理、韓国料理、ベトナム料理と各国の料理を作ってくれるらしい(今晩はベトナム料理だったらしい)。

妻たちは私より一足先に、来週から一時帰国なのだが、そろそろラーメンや回転寿司の幻も見えてきたようで車の運転が心配である。