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荻村伊智朗の日記

このDVDに、荻村伊智朗の日記が映し出される場面がある。
1954年にロンドンでの世界選手権で初優勝した直後の日記だ。

以下に、画面から読み取った文面を書く。漢字などを読みやすいように変えてある。

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日本の卓球が国際スポーツの仲間入りをしてから三人の名選手が出た。
今、藤井、佐藤の三君がそれだ。
しかし、実際に日本の卓球に影響を及ぼしたのは今、藤井の両君だ。
そして、第三の創造的プレイヤーが荻村だ。
今はその守備を主体としてゆるい正確なplacementによる攻撃をもって、第一期のオールラウンド時代を築いた。
藤井は、強力な決定球を、自己中心的に駆使して、後年、守備としてのショート、カットを併用して、第二期のオールラウンド時代を築いた。
これまでは、卓球の研究方法が、もっぱら技術を受け継ぐ方法を採り、今、藤井それぞれ世に何らの科学的、理論的“技術”を残さずに終わった。
真の近代スポーツは科学に立脚した研究方法また練習方法を持つ。
荻村の卓球における使命は、卓球をして、近代スポーツの仲間入りさせることにある。彼の理論は近代科学に立脚せねばならない。いかなるスポーツに比しても、遜色なき理論的科学的“技術”及び“技術の修得法”を創成するのが彼の使命である。
彼は自ら範となってそれを示す。
彼の卓球史における役割は、過去の何人よりも大きい。
1954.9.30

フォームの一角を形成するスウィングは大抵の場合、練習したようにできることが多いが、身体はまず理想的な体型とは程遠いと思わなくてはならない。
だから、身体が崩れただけスウィングを変化させて、初めてひとつのまとまったフォームである。
格に入りて格を出でざるは悪しく
格に入りて格を出づるは良し
1954.10.9

負けてから発奮するくらいなら今から発奮しろ。
負けるのを待つな。今、負けたと思え。
(日付読み取れず)

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こんな日記を21歳の彼は書いていたのだ。単に志が高いとかいうのではなくて、病的というか化け物というか、とにかく、モノが違うという感じがする。荻村伊智朗は、ハナっから常人ではなかったということがよくわかる。誰の相手にもならんだろこれは。相手にしたくないというか。

大会記録集

すごいのはこの大会記録集だ。

国内の試合は準々決勝からゲームカウントまで載っているし、準決勝からはスコアまで載っているのだ。

そして世界選手権は予選リーグからスコアまで載っているのだ。

その筋のマニアの方なら必携の書物である。
ぜひとも日本卓球協会のホームページからお買い求めいただきたい。
http://www.jtta.or.jp/
価格は2冊セットで6,000円だ。

記念誌本編

本編は、日本の卓球の歴史を俯瞰した内容だ。藤井基男さんが執筆した部分もあるためか、自身の著作『卓球物語』『知識の泉』と重複する内容も多いが、貴重な内容になっている。

特に私が嬉しかったのは、ルールの変遷のまとめだ。こういうものは意外とないのだ。

ラケット論

今月発売の号の原稿にラケットのことを書く。私の言いたいことは、ラケットの性能は弾みと重さだけで決まるので、その情報をすっきりと宣伝してくれればいいというものだ。もちろん弾みは重さにも影響を受けるので、材質だけではなくて、実際に人間がラバーを貼ったラケットを手に持って打球をした場合の賞味の弾みを「弾み」と定義しての話だ。

ラケットの弾みがどれくらいが適正かは人によって違うので、適当なのを選べばよいが、その適正な弾みを与えるラケットのうち、もっとも軽いラケットが偉いというのが私の考えだ。言うまでもなく、ラケットは軽いほど素早いラケット操作ができるからだ。ラケットが軽すぎると相手のボールに押されるという話も聞くが、それは弾まないということだから「適正な弾み」という前提から外れているだけのことだ。軽くて押されないラケットを選べばよい。相手のボールの威力によって弾みの序列も変わるというなら、そういうデータこそ欲しいところだ。

そこで、業界のリーディングカンパニーであるバラフライのホームページで公開されているラケットの弾みと重さをグラフにしてみた。弾みは「スピード」としてグラフに表示されているプロットから読み取って私が数値化した。重さは各ラケットの詳細データで平均値として載っていた数字を採用した。

重いほど弾みがよい結果になるかと思ったが、結果はご覧のように、極めて弱い相関しかない結果となった。新素材は重さのわりに弾みがよいことが分かる。また、単板も合板よりは弾みが良いことがわかる。「朱世赫」や「ディフェンスプロ」「デイフェンス2」といった守備用ラケットは、ブレードの面積が大きいために重めになっていることを付け加えておく。

私の考えは、ラケットは軽いほど有利というものだから、好みの弾みに応じて80グラム以下の製品、つまり「アイオライトNE」「イシュリオン」「メイスパフォーマンス」「ビスカリアライト」あたりから選べばよいということになる。

遠心力をスイングに使えると思って、遠心力を増すために重いラケットを使う人がいそうだが、本末転倒だ。遠心力はスイングによって生じるものであり、それをスイングには使えない。自動車レースで、パワーのあるエンジンほど重い傾向にあることから「エンジンは重いほど力が出る」と誤解をしてエンジンに重りをつけるようなものだ。

正月早々、こんなことを考えたのは、ラケットを選ぶときにわけのわからない情報が多すぎて選ぶのに苦労したからだ。その選ぶ作業が楽しい人にとっては今回のような単純化はよけいなお世話ということになろう。こんなことをするとまた側近の者から「ヒマですねえ」なんて言われそうだが、ヒマどころかこの作業で忙しかったのだ。

骨盤ほぐし

夕飯を食べにイオンに行ったのだが、その一角に『骨盤ほぐし』のコーナーがあった。マッサージの類らしいのだが、まるで柔道かプロレスの極め技のように恐ろしい名前である。どう考えても命の保証はなさそうだ。

どんなものかと思って写真を見ると、骨盤をほぐしているような写真はなかった。しかもモデルは白人。どういうことなのだろうか。

高級手帳

年末に手帳を買った。

2008年の7月にダイエットをしたときから胸ポケットに入るようなメモ張を携帯していて、それに飲食物のカロリー、体重とともに、原稿やらブログのネタやら雑多なメモをし始めたのだ。

白状するのはちょっと恥ずかしいが、これは『刑事コロンボ』でコロンボがメモをするのがカッコいいと思ったのと、荻村伊智朗関係のパーティーで同席したノンフィクションライターの城島充さんが、会話のあいだ中、メモ用紙にメモしっぱなしだったのを見て「うわ、作家ってこうなんだ、カッコいい」と思ったからだ。

それで、ときどき私も人前でこれみよがしにポケットからメモ張を取り出してメモをすることにしたのだ(ね、恥ずかしいでしょ?)。メモ張はアメリカのスーパーで買ったもので、1ドルくらいのものだ。2冊目を使い終わったので3冊目を買おうと思ったのだが、2冊目があまりにも粗悪品(週刊誌のような紙質なのだ)でボロボロになったので「いい物」を買いたくなった。

それでデパートのそれらしい売り場にいくと、意外にも欲しいものが売っていない。私が欲しいのは、何年か先までのカレンダーがあって、あとは罫線だけのものだ。ところが売り場においてあるのは、マンスリーだのウイークリーだの毎日の日記だのの印刷がしてあってメモ欄は全体の半分もなく、どいつもこいつも表紙に2012年と印刷してあるものばかりだ。考えてみると、こうしないと毎年売ることが出来ないから当然なのだろう。一方で、カレンダーがついていないただのメモ張ならいくらでもある。しかし、カレンダーのついたメモ張というものはないのだ。

それであきらめて家に帰ったのだが、ネットで調べると完璧なものが見つかり、それを売っている店に行って買った。バインダー式になっているので、別売りの用紙で好きなように構成できるのだ。ダビンチというブランドで、メモ張としては異常に高い物だが、本当に欲しいものが手に入った嬉しさでいっぱいである。品質が良いことも偉いが、こういう細かな客のニーズに応えるところも高級品だということなのに違いない。牛革の匂いもなんともかぐわしい。革が手になじんで手垢が染み込み、ボロボロになるまで使い込もうと思う。

私はブランド指向ではないが、今回ばかりは「なるほど、ブランド品っていいもんだな」と思った。ただし、手帳ぐらいで止めておこうとは思う。靴だのカバンだの時計だのに興味を持ち始めたら大変だ。いわんや車をや。

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