気持はわかるが・・・昔の仮面ライダーの「タイフーン」みたいだ。
靴脱ぎ上手
丈夫な傘
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スティーブの息子たち
スティーブは今の奥さんとの間に子供はいないが、奥さんの前の夫との間の息子が二人いて、かつてはときどき面倒を見ていたという。そこであまりにも面倒を見るのが大変だったので、子供はこりごりだから欲しくないのだという。
どのように大変だったのか聞いてみると、長男は破産したし次男は刑務所に入れられたという。・・・そりゃ大変というよりも、子育ての話を逸脱しているのではないだろうか。
なお、長男は今では警察官をやっているという。・・・むう。
スティーブとの再会
金曜は、アメリカから出張にきたスティーブの歓迎会だった。スティーブは、私がアメリカに赴任していたときに同じ工場にいた同僚で、今はメキシコとの国境近くの工場に転勤になっていて、そこから日本に出張に来たのだ。およそ1年半ぶりの再会だった。
飲み会では私はスティーブの正面の席だったのでいろいろ話したが、宗教について聞いてみた。私はアメリカにいたときには何人もの同僚に同じことを聞いてきたのだが、いつも答えは同じで、強烈なクリスチャンばかりだった。南部だから仕方がないとはいえ、100%そうなのだ。一人ぐらい「俺は神なんか信じない」という人がいてもよさそうなものだが、今までそういう人は一人もいなかった。
スティーブにもあまり期待せずに「クリスチャンだよね」と聞くと「ノウ」と言うではないか。「じゃ何教?」と聞くと「宗教は持っていない。無神論者だ。日本人と同じだ」と言うではないか。私は嬉しい驚きで、そういう人は初めてだと言うと「俺は正直なんだ」と言う。スティーブによれば、南部であっても実は心の底から神様を信じている人ばかりではくて半信半疑の人もいるが、「信じていない」と言うと、万が一神様がいるときにそれを神様が見ていて地獄に落とされる可能性があるので、それを恐れて「信じている」と言うのだそうだ。神様が本当にいるのなら、口に出して言おうが言うまいが心の中もわかるわけだから、そんなことは問題にならなそうなものだが、さすが、イエス・キリストという実在の人間を神様扱いしているだけあって、神様をリアルな存在としてとらえているのだろう。
スティーブは、聖書とか神様なんてどう考えたって有り得ない、そんなもの信じる奴はバカだと、stupidとbull shitを連発していた。私が、特に強烈な信仰心を表明していたかつての同僚たちの名を上げると「そりゃあいつらは特別バカだもの」と語った。実際にはバカな人ばかりではないところが難しいところだが、まあ小さい頃から教え込まれたことを否定するのは難しいものだろう。どんなに矛盾があろうともそれらを見て見ぬふりをして信じたいことだけを信じられるのが人間なのだ。
居酒屋で出されたお通しは、タコの刺身に小豆が混じったものだった。アメリカ人にとっては悪夢のような組み合わせだ。スティーブは意を決して食べていた。
「テレ東伝説」
テレ東伝説というのがあるらしい。どんな事件があってもテレビ東京は通常の番組編成を変えないことを指すという。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%86%E3%83%AC%E6%9D%B1%E4%BC%9D%E8%AA%AC
非常事態のレベルとテレビ東京の行動の関係は以下のようなものだという。
レベル1:NHKが特番を開始。(注意報発令)
レベル2:日テレ、TBS、フジ、テレ朝が特番を開始。(警報発令)
レベル3:テレ東がテロップを入れる(避難勧告発令)
レベル4:テレ東が通常放送を打ち切る (避難命令発令)
レベル5:総理大臣、国民に向けて会見(非常事態宣言)
レベル6:テレ東、アニメを放送途中に打ち切り緊急特番を開始する(地球滅亡。少なくとも日本の終わり)
また、実際の事件とテレビ東京の番組の”実績”が以下のように上げられている。
湾岸戦争 → 楽しいムーミン一家と三つ目がとおるで高視聴率獲得
阪神・淡路大震災 → ムーミン再放送、覇王大系リューナイト、ゲーム王国、BLUE SEED、ミュータントタートルズ、I love SMAP、開運!なんでも鑑定団
地下鉄サリン → ムーミンの再放送
麻原判決 → 風呂58歳退職
素晴らしい。
酒の強要
急性アルコール中毒で重態だった小樽商大の学生が亡くなった。やりきれない思いだ。よりによって酒を飲まされて亡くなったというのだから、その悔しさたるや筆舌に尽くしがたいだろう。
最近は私も日本酒が大好きになり、週に2日ぐらいは家で缶酒を飲んでいるが、酒にまつわる礼儀だか挨拶だかが反吐が出るほど嫌いである。学生のときは酒はすべて嫌いだったから、一気飲みをさせる先輩など殺意を覚えるほど腹が立った。なぜ単なる嗜好品である酒を飲まなくてはならないのか。それのどこが礼儀なのか。好きでもない酒を飲まされるということは、しょっぱくて食えないソバ汁や辛くて食えないカレーを食わされるのと同じである。そんなこともわからないバカが他人に酒を強要するのだ。
しつこく他人に酒を飲ませる奴は、酒を飲むことによって普段言えない本音を言ったり、あるいは醜態を見せ合うことでより親密になるとでも思っているのだろう。あるいは自分が醜態を見せているのだから他人にも見せて欲しいと思うのだろう。それで「酒を飲まない奴がいると白ける」だのと気が狂ったようなことを言うのだ。そもそも酒を飲んだから醜態を晒したり失礼なことを言って良いというのが間違っている。酒を言い訳にするぐらいなら飲まないでもらいたい。本音はしらふで言え。
私は宴会でも酒を注ぐのも注がれるのも大嫌いである。自分の好きなときに好きなだけ飲みたい。当たり前の話だ。初対面の相手などには、会話のきっかけをつかむために注ぐことはあるが、そういう場合以外は他人に酒は注がない。仕事で上司などに酒を注がざるを得ないときは「ああ、魂を売るとはこういうことなのだなあ」と思う。
とにかく酒を飲むのが礼儀だというのだけは許せない。いつか日本からこんなバカな風習がなくなって、飲み会で死ぬ人が一人もいなくなってほしい。可哀想に。合掌。
滑り台
どうも家では私のギャグは息子たちにさっぱりウケない。
今朝など、私が駄洒落を言うとすかさず長男が「滑った」、次男が「滑り台用意したら」と冷たい。まったく不思議だ。
営業マンMさんの告白
今日は、営業の担当者であるMさんと、代理店のAさんと一緒にお客様のところをまわってきた。私は入社以来、ずっと社内で技術の仕事をしており、お客様のところに行くのは初めてだったので、とても新鮮であった。
Mさんと会ったのは今日が2回めで、Aさんとは初対面だったので、車中いろいろと世間話をした。私は特定の話題にはめっぽう詳しいものの、世間一般のことは知らない方なので世間話は得意ではない。しかしAさんの出身が埼玉の所沢であることを聞くにおよび、すかさず「タマスの工場がありますね」と食らいつき、そこから卓球の話に持ち込んで初心者用の軽いウンチクを披露した。卓球が仕事に役立った極めて希なケースだ(たいした役ではないが)。
3社を回り終わって夕方にAさんとは別れ、Mさんとふたりで喫茶店で今日のまとめを行ったのだが、そこでMさんは思わぬ告白をした。「実は私も卓球をしていたんです」という。普通に考えれば、別に告白というほどのことでもないのだが、話を聞くとそこにはただならぬ思いが込められていた。Mさんは中学高校の6年間を卓球部で汗を流した。ところが大学に入ったときに、なんとなく卓球をやっていたことが恥ずかしいという時代の雰囲気を感じ取り、その「過去」を封印したのだという。年齢を聞くと、彼が大学に入学したのは1985年であり、まさに「卓球根暗ブーム」の直撃を受けたことになる。場の空気を読むことに長けた彼の特性が、現在の優れた営業マンの地位を築いたと考えれば納得がいく。ほぼ同世代でありながら、ぶっちぎりに狂信的に卓球にのめり込んだ私や田村とは人間の特性が正反対なのだ。
その決心はかなり強烈で、奥さんにすらその過去を話したのは結婚する直前だったという。奥さん以外の人に話したのは今日が初めてだそうだ。実に27年間も「卓球」を封印してきたことになる。いったい「卓球」がどれほど彼の心に暗い影を落としたのだろうか。だから車中で私が「タマスの工場」の話をしたときに、封印していた過去が急に蘇り「ううっ」と込み上げるものがあったという。そして、Mさんの表現を借りれば「異常な熱意」で卓球の話をする私のことが奇妙かつ脅威に感じられたという。「今日こうして、思い切って話をしたことで当時の自分に会ったような気がしました。肩の荷が降りました」とMさんは語った。
なんとコメントしてよいものか・・・。私がドイツに世界選手権を見に行った話までするのを聞いていたMさんの混乱・葛藤を思うと、なんとも可笑しい。ともあれ、他人の肩の荷を降ろすのを手伝うことができて嬉しい。ここでも卓球の話が役に立ったわけだ(トラウマの原因も卓球だったわけだが)。
なお、Mさんの奥さんは最近、3歳のお子さんにミニ卓球セットを買ってきて「お父さんに教えてもらいましょーねー」とおちょくるのだそうだ。こういう卓球の扱いは、昔の私ならムキになって批判するところだが、今ではそうやって話のネタになること自体が嬉しい。卓球はセコくて暗くてもいい。親しみやすくてとてつもなく面白い、それでいいではないか。
ちなみにMさんの戦型は中国式ペン表ソフトだったそうだ。よりによって特別セコい・・・(あ、気にするかな?)。Mさんの口から「ピョンヤン大会」と言う言葉が出たとき、不覚にも感動してしまった。本当はMさんの写真を載せたかったのだが「それだけは勘弁してください」とのことだ。さすがに告白してすぐでは心の準備もできていないのだろう。彼の心の中の卓球を氷漬けにしている氷が解ける日を待ちたい。